小説 川崎サイト

 

猟奇に走る

 
 岩村はこのあと何もないことが分かった。特に用事がない。気になるような用事がない程度だが、それも気にしだすと気になるものだ。しかし、特に、というのがないので普段通りでいい。
 これは予定のようなもので、向こうからやってくる用事は、避けられるのなら、避けたいが、避けるだけのことではない程度なら、それに乗るだろう。
 また乗らないと、何度も何度もやって来るかもしれないので、それが面倒なため、片付けた方がいい。
 日々、色々な用事があり、それには期限や、約束の日時とかもあると、出かけないといけないし、向こうからやって来る場合は待機しないといけない。それだけでも時間を束縛されそうだが、数が多いと、それほど目立たない。数ある用件の中で特に目立つもの以外は。
 そんなことを岩村が考えていたのは、当分、そういう用事がないため。少なくても一週間ほど。
 場合によっては二週間か三週間は目立った用事はない。
 だが、目立たないが気になる用事はいくつかあるので、そんなときは、そちらをやるだろう。
 つまり、用事や用件をいくら果たしても、いくらでも出てくる。きりがない。
 しかし、そういうものがなければ間が持たない。ずっと座り続けたり、寝転がっているのは逆に苦痛になる。何かをやっている方がいい。これは楽なものを適当にこなす方がいい。
 しかし、下手に弄ると、パンドラの箱。時限爆弾のスイッチを押してしまい兼ねない。日常の中にもそういうものが含まおれている。それで家が吹っ飛ぶわけではないが。
 禁断のもの、開けてはいけないもの。そういうのがそれなりにある。暇だと開けたくなる。だから、つまらないことでもいいので、それなりの用事をこなしている方がいい。
 退屈だとか、刺激が欲しいと思うのは危険な気がする。刺激物なので、刺激があっていいのだが、刺激だけを求めるための行為は控えるべきだろう。
 これは岩村の教訓になっている。それで痛い目に何度かあっている。余計なことをやったばかりに、とでもない結果を招いた。
 あることをするため避けられなことなので、仕方なくひどい目に合うのなら、話は少しは分かる。
 しかし、刺激目的だけでは成果はない。刺激を得たことが成果だが、その刺激、気持ちの問題だけで終わればいいのだが、現実を変えてしまう。
 日常が如何に退屈であろうと、猟奇に走ってはならない。というのを何かの本で岩村は読んだことがある。
 
   了

  


2023年1月22日

 

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