小説 川崎サイト

 

ややこしい話

 
 今、何処を走っているのだろう。
 歩いている、でもかまわない。それを三村はちょと引いて考えてみた。
 これは順調に進んでいるときでも、そうでないときでも、たまにそれを確認することがある。チェック項目の一つではないが、急にそう感じるのだ。
 三村はマラソンランナーではない。走っているのはいいが、歩いていると駄目だろう。健康のために走っている人なら問題はない。
 無理に走らなくてもいいし、途中で休憩してもいい。レースではないのだから。
 しかし、まるでレースでもしているかのように走っていることもある。一人芝居だ。
 また、解説が入ったりする。自分で入れているのだ。
 そういう歩くとか走るとかはどうでもよいことで、今、三村は何処にいて、何をしているのかが問題。これは実際に足で走っているわけでも、歩いているわけではない。物事に関しての話だ。
 そういえば昨日の今頃も、これをしていたなあと三村は思い出す。しかし十年前はしていなかったことも多い。
 そして、方向。これは昨日と同じ方向だが、十年前とは一寸違う。それは当然のことだろう。状況が変わったので、それに合わせる。その状況の中に三村の状況もある。外ではなく、内側の変化。
 それがミックスされ、なし崩し的に押しやられた方角へ向かっているようだと気付いた。
 気付きは大切だが、気付いただけで終わることも多い。それに、そういうことを思うのは良いときなのか悪いときなのかもよく分からない。何かの都合で、すっと引いてしまったときに感じる。
 そのとき、今の状態でいいのかとなることもあるし、この状態がやはりいいとなることもある。
 前方や左右を見ながら走っている。進んでいる。しかし、走っている自分の後ろ姿も見えていたりする。そんなところに目はない。自分越しに自分を見ているようなもの。しかも一寸高いところから。
 これは幽体離脱ではない。そして、実際にはそういう姿は見えないのだが、三村がいる情景を三村込みで後ろから見ている感じ。
 ややこしい話だ。
 これは過去を見ているわけではない。前方の展望を見ている。十年前には見ていなかった風景。
 しかし、もっと古くからあったものが、まだ、そこに残っており、今でも見えていたりする。
 過去も今も前方にあるように。
 ややこしい話だ。
 たまに三村はそんな状態になるのだが、それで特に変化はない。何も起こらないし、それが指針にもならない。ただのイメージのようなもの。
 たまには拡がりのあるところから、自分を見るような感じで、見るだけ。
 見て損はないが、それほど得もしない。
 ややこしい話だ。
 
   了


2023年1月30日

 

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