小説 川崎サイト

 

里見発見伝

 
 チャンスは向こうからやってくる。
 これは里見が感じたジンクスのようなもの。従って神妙性は低い。しかし、神妙とは神の妙なるものなので、こちらの方が怪しいかもしれない。
 待てば海路の日和ありというが、それはいずれ時化はおさまり、穏やかな海になるだろう程度で、これは確実にやってくる。待てば。
 しかし、殆ど偶然に近いものが簡単に来るとは思えない。待っても待たなくても。
 それでもチャンスを探しに行くこともある。犬も歩けば棒に当たる式に。ウロウロしておれば、偶然良いチャンスに遭遇するかもしれない。
 ただ、里見は、それをして、ろくなものを掴んだことがない。これがチャンスだと思いたいばかりに、それほどのことではなくてもチャンスに仕立て上げるため。
 それよりも待機式の方が楽。探しても見付からないが、待っていると向こうから勝手に来る。
 そういう経験が里見には結構多い。これも確率の問題だが、それを上げるのは、里見の心がけが加わるためだろうか。常にそれを思っているとか。
 だから、チャンスが来ても気付きやすい。
 常に思っていない場合、チャンスが来ていても、それと分からなかったりする。
 しかし、このチャンス。グッドタイミング。これは出来すぎていることもある。まるで、最初から決まっていたかのように。そう感じるだけかもしれないが、まるで筋書きがあるかのように、良いところでそれが現れる。
 ただ、出来レースだったとしても、向こうからやって来ただけでは分からないし、また分かっていても乗らないこともある。
 待機中の盛り上がりに欠けるからだ。この盛り上がりは、切に願っていることだったり、こうなれば良いのになあ、程度でもいい。
 願った状態での待機。すると、不思議と現れる。探しているときよりも。
 ただ、その良いチャンス、良い巡り合わせ、ベストタイミングというのはどうも大願ではないようだ。つまり大きな願いではなく、小さな願い。だから確率も上がる。
 では、探すのは無駄かというと、そうでもないらしい。探しても見付からないから良いのだ。探す労があってこそ、向こうから飛び込んできたものが生きる。労せずして受け取れる。しかし、本当に何もせず、ただ待っているだけ、願っているだけでは、効果が薄い。
 里見はそのため、無駄だと思っても、探している。探索は続けている。それだけに、そのものの在処のようなものに詳しくなる。これは理解度が高まるので、向こうからやって来たときの価値も上がる。探しても見つからないものが勝手にやってくるのだから、有り難い話だ。
 里見は、チャンスは向こうからやってくることを発見したことで、これを里見発見伝の中に付け加えた。
 
   了


2023年2月1日

 

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