小説 川崎サイト

 

北山流

 
 弱すぎるといけないが、強すぎてもいけない。
 丁度中程がいいのだが、意外と少なかったりする。弱すぎると続かないし、強すぎても続かない。   弱いよりも少しだけ強い状態は中程に近い。少しだけ強い状態も中間に近い。しかし、両端のものが意外と多い。中途半端ではなく、徹したような。そのため、弱いタイプには強いタイプのかけらさえなく、強いタイプはその逆。
 北山が接している世界はそんな構図になっている。中間が多いようで、意外と少ない。どちらかに集中している。
 北山は極端なものは嫌いではないが、弱すぎるのは駄目。強い目がいいのだが、これは全てを出し切ったようなもの。それ以上のものはない。
 だから強すぎるものは、そこで終点。弱すぎるものはスタートしたばかりで、先が長いが、これは途中ではない。それで完結している。より強くへは絶対に行かない。
 それで北山は両端から攻めている。ただ、弱い側から攻めた方が楽。これはまだまだ弱いので、物足りない。それで徐々に強め、程良い強さになるところを探している。
 その程良さ、北山と合っているのだろう。物足りなくはなく、無理をしていないような。つまり等身大。
 それは大人しいタイプだが、少しだけ強い箇所がある。強い箇所だらけでは続かないので、少し加わるだけでよい。
 そのバランスの良いタイプを求めている。中間、中程といっても程度があり、様々。両極端にあるものよりも分かり難い。
 それは弱いわけでもないし、強いわけでもないタイプ。これは存在している。しかし、幅が結構あり、その中でも弱すぎたり強すぎたりする。
 ちょうど程良いものは、長続きする。無理がないから。だから常用出来る。メインになる。
 ただ、程良さも変化する。もう少し弱い目がいいとか、強い目がいいとかで。
 しかし全体としては大人しいタイプだろう。それほど弱いものではなく、強いものでもないが。
 北山が最近接している世界。その構造は他でも当てはまったりする。要するに北山流なのだ。流儀なので固定しているはずだが、流れがある。だから常に違いがあり、変動しているようなもの。
 ただ強すぎる流れではないし、弱すぎる流れではない。流れが微妙に違う程度。
 押し出したり、押し出されたりと、北山側からの動きも反映する。流れを見ているだけではなく、北山もその中で一緒に流れているのだ。
 北山流、そういうものはないが、一人一人に何々流があるのだろう。
 
   了


2023年2月6日

 

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