小説 川崎サイト

 

ヌボッと

 
 ヌボッとした日だった。曇っているためかもしれない。そのヌボッとは高橋から来ている。
 曇り日は誰もがヌボッとするわけではない。ただ、それはヌボッとしているかもしれないが、ヌボッととは何だろう。
 高橋は正気、狂っていない。しかし、同じ正気の中でも、あまり生気がない。これは意外と良いのではないかと高橋は思った。
 考えたわけではない。そのため、思う方が軽い。考えるよりも。
 どちらも似たようなことだが、思い付いたと、考え付いたとでは、一寸違いはあるが。
 意外と、このヌボッとした状態がいいのは、一寸ぼんやりとしているため。感度が鈍くなったのではなく、冷静だが、冷たくはない。
 物事がすっと入ってくる感じで、普通に受け止められる。これは高橋にとっては標準的な受け止め方だろう。
 いつも元気すぎたり、弱りすぎたりし、どちらかに傾いている。その点、ヌボッとした状態は頼りなげで、ぼんやりとしている感じもあるが、すっと全体的に物事を見ている。あまり波を立てないで。
 こういうときの判断力はいいはずで、それを冷静というのだろう。決して冷たくはないが、熱くはない。
 しかし、感情の波が穏やかなので、あまり楽しくはない。静かな楽しさはあるが、頼りない。
 こういうヌボッとしているときは、感動とは無縁かもしれない。
 決して物事を真の目で捕らえるわけではなく、価値観などもいつもと同じ。だから人が変わったわけではなく、アタリが変わったのだろう。
 こういう日は何かあるようで、普段にはないようなことがたまに起こる。珍しいことが起こるわけではないが、ああそれが来たかとなるようなのが来たりする。
 高橋は、メールをチェックしているとき、これだな、と気付いた。いつもは広告メールしか来ない。全部読まないで、削除している。解除が面倒で、何段階もあったりする。それにパスワードなども忘れている。
 そんな中にたまに本物のメールが届く。その一つがその日、届いていた。
 難しい用件ではないが、リアルでの展開になるので、メールで返事すれば済むだけの問題ではない。出掛けなくてはいけないためだ。
 別に嫌な用件ではないが、面倒臭い。日や時間に縛られてしまう。
 ヌボッとしているときなので、すんなりと了解したが、そうでない日なら、また違っていただろう。
 ヌボッとした日に何かが起こる。そんな因果関係はない。しかし、ヌボッとしているときに用事をこなす方が楽かもしれない。
 ヌボッとの注射を打ったようなもの。
 そして、そのあと気付いたのだが、そのヌボッとは風邪でも引いたのか、頭がぼんやりしていることが分かった。悪寒がしだしたので、それで分かった。
 一寸病んでいるときの方が正気に近いのかもしれない。
 
   了

 




2023年2月10日

 

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