小説 川崎サイト

 

論破

 
 富田は似たような日を綿々と繰り返している。粛々と。昨日と同じことを今日もやっている。その順番も決まっている。
 友人から、それでは機械じゃないかと言われたが、富田は機械ではない。しかし、機械的な動きなので、機械と変わらないのだが、それほど精確なものではなく、機械としては落第だし、欠陥品に近い。
 富田はやることは決まっており、それを繰り返すだけ。それでは自分の意志とか考えではないと友人から言われる。余計なことを言う友人だが、それだけ親しいのだろう。そういうことを言ってもいいような関係。
 富田の答えは、これは自分が決めたことで、自分の意志だし、自分の考えで、そうなっているとなる。
 だからやめようと思えばいつでもやめられるし、別のことをやりたければ、いつでもそれをやることができる。とも答えた。
 自分の意志で敷いたレールなので、敷き直すことも出来るのだが、今のレールが一番妥当なので、それを繰り返していると、重ねて説明した。別に説明義務などない。その友人が納得すればいいだけの話。
 富田が決めたことだと言うが、そうなってしまったのではないかと、友人は問う。
 つまり、意志ではなく成り行きとか、状況で、他動的にそうなってしまったのではないかと。
 鋭いところを突いてきたと富田は感じたが、おそらくそう出るだろうと思っていたので、次の説明も用意していた。
 それは妥当な動きをするのは自分の意志で、それを選択したのも考えた上でのこと。一見自分の意見や意志などないように見られるが、そうしない判断もあり、成り行きに逆らうこともできたと答えた。
 しかし、成り行きに従う方を選んだのは、最初から決まっていたのではないか、全部自分で決めたようなことを言っているが、それは後付けではないか、と友人は刃先を光らせた。
 流石に次の説明は準備していなかった。そのため、作らないといけない。そう感じたとき、富田はありふれたよくある答えが見付からなかった。何処へ落とし込もうかと探したが、ない。
 しかし、その友人、何のためにそんなことを言い出したのだろう。その目的によって、答え方も分かるかもしれない。
 その友人、富田が黙り込み、返答ができなくなったので、我が意を得たとばかり、機嫌がいい。
 ああ、これだったのかと、富田は察した。
 
   了

 

 


2023年2月11日

 

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