小説 川崎サイト

 

心情

 
 心情というのがある。感情、情念と言ってもいい。気持ちということだ。これが原動力になっているのかもしれないが、結構浅い感覚的なこともある。
 その場の感情で突き動かされたとか、動かなかったとか、一寸考えてしまったとか、出方は様々だが、その感情を起きる原因のようなものがあり、感情の一歩だけ奥にあるもの。心情は少しだけ深いところから来ていたりする。
 情念も似たようなものだが、少し積極的、一歩前かもしれない。心情から情を取れば、心だけになる。しかし、一寸でもいいので感情が起こらないと、心も出てこないかもしれない。
 心なしで動くこともある。これはとっさの場合の反射のようなもので、気持ちが起こる前に動いていたりする。考えなくても逃げないといけないとかだ。結構動物的な基本的な動きだろう。
 さて、心情。これは心掛けなどで、ある心情が常に常駐していることもある。感覚的な反応でも、受け止め方が違う。
 その中味はその人の傾向のようなもの。蓄積された経験とか、習い事などで身に付けたものが反映しているのかもしれない。
 心境というのもある。これは何かのあとに来ることが多い。または何かをしているときの気分のようなもの。心の状態のようなもの。
 ただ、気分とか心とかなると、かなり曖昧で、掴み所がない。それに体とも繋がっているので、頭の中だけの話ではなさそうだ。
 歯が痛いときとそうでないときとでの心の動きも違うだろう。また、その手前にあった何かの影響も受けている。
 また、これは嫌な予感がするとか、いい予感がするとかは、以前の経験と繋がっていたりする。ジンクスになっていることもあるが。
 心とか心情とか、そういったものは心で考えたり、心情で考えたりすると、これはややこしい。
 そのものをそのもので思ったり、考えたりするため。
 ただ、今の心情を少し引いて、他人事のように圏外から出た外部的なところから眺めることも出来るが、これはあくまでも想像で、それも含めてまだ自分の中にいる。
 ただ、少し引けば、冷静になるかもしれない。我に返るというやつだ。
 我に返った我を、さらに引いた我が見ているという無限世界もあるが、そこまで引く必要はないだろう。
 心情というのは、それも含めてのことで、リアルな正体ではなく、そのときはそんな気持ちでした程度でいい。
 この発生原因は分かりにくい。最初から心などはよく分からないことらしい。
 ただ、心とか、心情とか、情念とかがあることだけは分かっているが、それは感じているのだろう。
 最後に残るのは、そう感じました程度かもしれない。
 
   了

 


  


2023年2月26日

 

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