小説 川崎サイト

 

今日は一日雨ですよ

 
「今日は一日中雨ですよ」と藤沢は馴染みの店を出るとき、店の人から言われた。
 店の人としては「有り難うございました」だけよりも、そういう一言をおまけしたかったのだろう。買ったものにはおまけは付いてこなかったが、そういう店ではない。またそういう商品ではない。
 タバコのように値段は決まっており、ワンカートン買えばライターのおまけが付く程度。しかし、その店はそんな商品ではない。
 商品のことよりも藤沢は雨が気になった。店の人からそう言われたため。
 よくある、ひと言かもしれない。
 来るときも雨だが、小雨。大したことはないが、やみそうでやまない。だから一日中雨で、諦めるしかない。しかし藤沢は雨が降っても今日は困ることはないので、あまり影響はない。
 しかし「今日は一日中雨ですよ」が、どうも気になる。雨ではなく、別のことで。
 一日中何々ですよ、となる。
 何かが一日中続くという意味で、雨のようにずっと降っているもの。何だろうかと、そんなところへ入り込もうとしていた。すぐには思い浮かばない。
「今日は一日鬱陶しいですよ」に近いものかもしれない。
 だが、心当たりはない。別に今日は鬱陶しいことはない。天気は鬱陶しいが、それ以上のものではない。
 だが「今日は一日何々ですよ」が気になる。雨なら問題はないが、何々になると、分からない。心当たりがないことを探すのだから、手掛かりがない。だから探しようもない。
 ただの挨拶のような言葉。気に掛ける内容ではない。雨しか差していないのだから。
 しかし、藤沢は別のものを差しているように思われてならない。「今日も一日」が気になる。
 今日の予定、それは決まっている。昨日と同じことをやるだけ。この状態と、一日雨の状態がどう重なるのだろう。
 店屋からの戻り道、濡れた歩道を歩く藤沢。
 濡れた路面。排水溝の鉄の蓋が光っている。余程のことがない限り、滑らないだろう。いくつものレールが走っているようになった蓋に自転車のタイヤが入り込んで滑ったことはあるが、徒歩なら大丈夫だろう。
 帰り道、何かと遭遇し、鬱陶しいことになるのだろうか。
「今日は一日雨ですよ」は予言ではない。店の人はそんな予言を吐いたわけではない。ただの挨拶。
 素直に受け取れば、聞き流してもいい言葉。挨拶なのだから。
 しかし「今日は一日雨ですよ」が尾を引く。
 そして一日が終わり、寝る前。藤沢はもうそのことは忘れていたのだが、今日あったことを寝る前に思い出すのが癖。
「今日は一日雨ですよ」は当たっていた。まだ雨はやんでいない。
 やはり、それ以上の奥はなかったようだ。というより、最初からなかったのだから。
 
   了


  


2023年2月27日

 

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