小説 川崎サイト

 

春野

 
 春めいてきたのか、野が明るい。野といっても田畑。野っ原が拡がっているわけではない。
 住宅地の中に空いた空間。元々この空間の方が広かった。そこに家が建ち出しので、狭いように見えるが。
 野谷は月に一度、その道を通る。一ヶ月前とは少し違う。低い草から小さな赤い花が出ているのだが、それほど目立たない。ただその前の月は殺風景で、冬の暗い野。
 まだ寒いので野谷も風景を見ている余裕はなかったのだろう。野っ原と同じで吹きさらし。そのため、そこは早く通り過ぎたかった。
 今月はゆるりと景色を見渡せる。畑の余地に椿や梅があり、どちらも花を付けている。これだけでも明るい。
 春の草花が咲き誇るとまでは行かないが、もう少し立てば野菜ではなく花が畑で咲いている。野菜を作って売る農家だが、そこに花を植える。これは余裕だろう。また農作業中、そういう花々がある方が目にはいいのだろう。
 野谷は毎年、それを見ているのだが、いつも似たような花。植えた人の好みの問題。
 そして育てている野菜は、売ることよりも、見映えのあるものが多い。トウモロコシが数本とか、小麦がいく株かとか。まるで観賞用の穀物や野菜。当然瓜なども。
 収穫しないで、真っ黄色になった瓜が残っていたりする。この黄色を見て欲しいのだろう。
 また、毎年春になると、出てくる草花がある。それなりにボリュームがある。葵だろうか。虫が良く飛んでくる花。
 これが雨の日や曇っている日はどうだろう。野谷はあまり見ないと思う。晴れているので見ている。
 また、月に一度の用事だが、時間的に遅れているときは、見ない。だから余裕がなければ見ないし、天気がよくなければ見ない。映えないので、目立たないから。
 野谷は、それを見ているだけではなく、自身のことも見ている。月に一度のチェックのようなもの。
 野谷と野が一体になるわけではないが、どちらも生きている。
 
   了

 


2023年3月14日

 

小説 川崎サイト