小説 川崎サイト

 

架空の現実

 
 この現実とは違うフィクション世界に浸ることが竹中にはある。これは作り事の世界だが、世界として竹中の中では存在している。
 ただ、手で掴んだり出来ないし、そのフィクション世界にある街や道などへも行けないが。
 ただ、現実世界の中にも、そのタイプに近いものがあり、それは架空世界の欠片のように思われる。実際には繋がっていないのだが。
 そのフィクション世界も現実をモデルにしており、現実世界にあるものを作り替えたり、組み合わせたり、延長したりしたもの。だから、現実の世界にあるかもしれないと思わせる。
 竹中はそういう世界に浸っていたことがあり、何を見ても、それと絡ませたりしていた。そのフィクション世界はミステリー的で、また神秘的な嘘の話が展開されるのだが、道具立ては現実のもの。だから近いのだ。この現実と。
 竹中は当然普段は普通の現実におり、普通の現実的な暮らしをしている。ただ、頭の中では、そのフィクション世界がポッカリと開き、よくそこへ入り込む。そこはひんやりとしており、謎に満ち、怪しげな人が徘徊している。
 誰かが書いた小説の世界や、映画の世界なのだが、それが竹中の中では生き続けている。本や映画は読めば終わり、見れば終わるが、その中にまだ竹中はいる。だから浸っている。
 ところがそれは過去のことで、最近はそんな浸り方が出来なくなった。別世界の扉が閉まったわけではないが、それほど浸れなくなっている。
 そこへ入り込むときのわくわく感のようなものが消えている。
 フィクション世界が消えたわけではない。ただそれを感じにくくなったのだ。
 これは感受性が鈍ったのかもしれない。それで、竹中は何度も試みたが、どうも以前のようには浸れない。
 どっぷりと浸かれないのだ。こういうのは現実逃避にはぴったりだが、それ以上に、架空世界と重ね合わせながらはまり込むということができない。
 しかし、わくわくする小説や映画などを見ると、しばらくの間は、それが頭の中に常駐し、その世界と現実とが重なることもある。しかし、すぐに切れる。
 以前はもっと長い間、それが続いた。そのため、長さの問題だったのかもしれない。今も竹中は架空世界にすっと入り込むことが出来る。本や映画を見なくても、頭の中で回っているので。
 それではまだできているのではないかと、竹中は喜んだ。では、今は何だろうか。
 歴史上の人が乗り移ることもある。それを真似ているだけで、憑依ではない。
 英雄談ではなく、神秘的な世界。魔法ではなく、現実の中に潜む妙な世界。以前はそんな世界に浸れていた。
 また、それに近いものと遭遇するはずだと、竹中は楽しみにしている。
 
   了

 


2023年3月18日

 

小説 川崎サイト