小説 川崎サイト

 

もののけ博士

 
「もののけ博士はこちらでしょうか」
 妖怪博士宅の玄関で、そういう声が聞こえる。チャイムはあるのだが、電池が切れているようだ。
「もののけ博士宅はこちらでしょうか。ここでよろしいのでしょうか」
 何度も声がするので、近所で不審がられると思い、妖怪博士は玄関戸を開けた。
「もののけ博士ですか」
「私は妖怪博士だが、まあ、どちらでもいい」
「はい、失礼します」
 その青年、妖怪博士が訪問を受け入れると最初から思っているようだ。
「まあ、どうぞ中へ」
 玄関先でもののけ博士やら妖怪博士やらの声を立てさせたくないのだろう。しかし両隣も向かいも空き家。長屋が二棟並んでいる。
 青年には物騒なところがない。それで博士は奥の六畳の間へ入れた。
「もののけ博士とお会いできて、光栄です。僕は下田という研究家です。あ、もののけの」
「私は妖怪博士と呼ばれているのじゃが、もののけ博士という人もいるのかね」
「え、妖怪博士がもののけ博士でしょ」
「もののけとは物の怪と漢字で書くが、間違いはないか」
「漢字は使いません。もののけです」
「では、君はもののけに詳しいのかね」
「はい、妖怪博士の本を読んでいますから」
「しかし、そこにはもののけ博士の名前はないだろ」
「もののけ博士のことを妖怪博士というのです。僕はもののけ博士で統一しています」
「じゃ、同一人物なのだな」
「そうです。妖怪博士はいらっしゃるので、僕はもののけ博士になります」
「で、御用件は」
「お会いしただけで、もう十分です。もののけ博士は実在していた。存在していた。これだけで用事は終わりです」
「本当に君が思っているもののけ博士は私のことなのか」
「はい、お写真と同じですから」
「それはもののけ博士の写真かね。それとも私の写真かね」
「もののけ博士の写真です」
「それは雑誌に載った写真かな。本もあるが、写真は載っておらん」
「はい、本というのは雑誌のことです」
「本と雑誌は違う。妖怪博士ともののけ博士も違う」
「同じものです」
「そうか」
「はい、僕の中では」
「それで、君も妖怪研究をやっておるのか」
「はい、まだ初心者ですが」
「しかし、妖怪研究じゃなく、君の場合はもののけ研究ではないのか」
「そうです。同じことです」
「しかし、なぜわざわざもののけという言葉を使うのかね」
「そちらの呼び方の方が好きだからです」
「漢字ではなく」
「はい、平仮名でもののけがいいのです」
「実は私も妖怪ではなく、もののけの方の方が好きなのだがね。これは人が付けてくれた呼び名なので、私が決めたわけじゃない。君の場合、自称だね」
「はい、まだ研究家としての活動はしていませんから」
「それもいいが、この春先、季候も良くなってきて、妙なものも出始める頃」
「はい、僕がそれかと」
「まあよろしい。私も君のような若い後継者が出てきて嬉しいよ。といってもわしもこれといったことはしておらんがな」
「もののけ博士のもののけ談はいつも興味深く読んでいます」
「あれはいい加減な話だよ。化かされんようにな」
「はい、心得ています。僕も、あんな嘘を普通に書けるようになりたいです」
 妖怪博士は、少し戸惑ったが、褒められていると解釈した。
 この青年はもののけ博士、そして、もののけと妖怪は同じものだという。では妖怪博士はもののけ博士でもあるとすれば、目の前にいるもののけ博士は一体だろう。妖怪博士ではないか。
 この青年の訪問。夢なのかもしれないと思い、妖怪博士は頬をつねる。すると痛い。目も覚めない。
 しかし、これも夢の中のことかもしれない。
 ただ、そのあと小一時間ほど雑談。そして青年のもののけ博士は消えた。玄関から、普通に出ていったのだが。
 夢にしては長い。そして、担当編集者からの電話が鳴る。
 妖怪の目撃談が届いたので、取材に行きたいので、一緒にどうぞ、というものだった。
 ここまでが、まだ夢の中だとすると、長すぎる。そして、気になるので、妖怪博士は蒲団を敷いて寝ることにした。これは夢の中で寝ることになるのかどうかは分からない。
 そして目が覚めたときは、昼寝程度の睡眠時間で、朝ではない。夕方前。
 ホームゴタツの上にコップが二つ置いてある。彼が来たとき、出したもので、片付けないで、寝たのだろう。
 これもまだ夢の中のことだとすると、いつ覚めるのだろう。
 
   了



2023年3月23日

 

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