小説 川崎サイト

 

ビートルズ

川崎ゆきお



 どうでもいいことほど熱中しやすい。
 どうでもよくないことは触りにくいことがあり、できればやりたくない。
 しかし、それをやらないと、とんでもないことになる。予測できるだけに、いやでも行動を起こす必要がある。
 上田が繁華街をうろついているのは、大事を後回しにするためだった。引き伸ばしているのだ。
 逃避と言ってもいい。
 繁華街の裏筋にあるバーで、毎晩過ごしていた。
 同年配の客が多く、何人かと顔見知りとなり、雑談を交わす仲になっている。
 ここにはここの世界があるのだが、どうでもいい世界なのだ。もしそこがなくなっても上田は困らない。また新しい店を探せばよい。もっと言えば、探す必要さえないほど、どうでもいいことなのだ。
「昔の映画はタイトルを覚えているんだけど、
今の洋画はタイトル忘れるねえ」
 上田がどうでもいいことを話し出す。
「横文字だからね。記憶に残りにくいんだよ」
「ミュージシャンの名前もそうだね。アルファベットじゃ、記憶にはいらないよ」
「私は歌謡曲しか聞かないから、最近の歌はいらないよ」
「歌謡曲って、懐メロでしょ」
「それも、テレビでやってるのをちょいと聞くだけだよ」
 上田は適当に喋っているのだが、酔いも手伝って気分がいい」
「俺は昔フォークをやってたんだ。ここのマスターともその縁でね」
 店内は常にジャズが流れている。
「ねえ、マスター。そうでしょ。元ミュージシャン」
 マスターは何も反応しない。
「ところで、上田さん。ビートルズが来日した時、どうだった。俺やマスターは大騒ぎでさ。方向が決まった感じだ」
「方向?」
「俺達がやるべき音楽は、あれだってね」
「そうなのか」
「上田さんは、どうだった」
「関心なかったよ」
「そんな人もいるんだ。来日したのは知ってるでしょ」
「知らなかったなあ」
「へ、そりゃ驚きだ」
「畠山みどりショーへは行ったよ」
「上田さんそっちの人かい」
「新聞屋がチケットくれたんだけどね、回り回って私がいただいただけさ」
「しかしだ。ビートルズ知ってるはずの世代が知らないなんて、驚きだよな。マスターもそう思うだろ」
「思わない」
 マスターが短くコメントした。
 上田は、タイミングを見計らってバーを出た。
 やるべきことが気になるのだが、だからこそ、どうでもいい場に来てしまうようだ。
 
   了



2007年11月28日

小説 川崎サイト