小説 川崎サイト

 

身代わり帽

 
「一寸した交渉がありましてねえ」
「交渉ですか」
「どう出るのか、分からない。会ってみなければね。しかし予想はつきますが、最悪の場合は、かなり厳しい。まるで首が飛んだようなのです」
「誰の」
「私のです。かなり厳しくなると言うか、その先やっていけない程深刻な事態に陥ります」
「それは大変だ。それで上手くいきましたか」
「そこへ行くとき、風が強くてね。帽子が飛びました。その日は二回目です。何か悪い予感がしましたよ」
「紐を付ければいいのですよ」
「付いているタイプもありますがね。縁が広いタイプなので、気に食わんので、それは捨てました。いい帽子だったのですがね。分厚いので冬でも被れますが、これは耳が冷たい。それで夏となると、これは庇が深いので、日除けには良いのですが、生地が分厚いので、暑苦しい」
「そうですね」
「帽子の話じゃありません。交渉事です。気が重い。しかし、行かなければいけない。まあ、そういう事ってよくあるでしょ。しかし、今回は軽いものじゃない。首が飛ぶかもしれないのですからね」
「それは最悪の場合でしょ」
「そうですね。まあ、殺されるわけじゃないので、生きていますが、もう今まで通りの生き方が出来なくなる恐れがあります」
「それは大変だ。それで上手くいきましたか」
「中間です。まずまずです」
「何の中間ですか」
「予想レベルの中間です。可もなく不可もない」
「じゃ、上手く行ったのでしょ」
「その実感はありませんが、何とかなったようです」
「良かったですねえ」
「それで、外に出た時、やられました」
「外って公道ですか」
「そうです。戻るときです。表に出たとき、来ました」
「何が」
「風が」
「あ、はい」
「あっという間に帽子、持って行かれました。そして拾うも何も運河の中に落ちました。上手く落ちたものだ。柵もあるのですが、隙間が広いのでしょ。人が入れない程度の柵です。ただ上からなら入れますが、帽子はどのコースを経て運河にはまったのかは分かりません」
「はい」
「しかし、帽子が落ちるところは見ました。どうやら柵の隙間、横じゃなく、下の隙間がそれなりに広い。だから飛んだ帽子、すぐに地面に落ちて、その後、風で運ばれたのでしょう」
「一瞬の出来事ですね」
「その日、帽子が飛んだのは、これで三回目。三度目の正直で、元に戻らずです」
「まあ、あることですよ」
「それで、思いました。身代わり帽子だったのではないかと」
「はあ」
「私の首の代わりに、帽子が持って行かれた」
「でも、その日は風が強かったのでしょ。ただの偶然ですよ。かなり起こりやすい偶然です」
「そうとは私には思えなかった。そう言う予感がしていたのです。しかし、その予感が当たって良かったですよ。本当の首じゃなくてね」
「あ、はい」
 
   了



 


2023年4月14日

 

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