小説 川崎サイト

 

程々

 
 程々のところがある。これは気付きにくいが、行きすぎたり、戻りすぎると、気付くことがある。ここではないようだと。
 しかし、いつものところでは今一つなので、もう少し遠くへ行ってみる。
 さらにその先があり、もういつものところとはものが違っていたりする。そして、その逆側も。
 つまり、一度振り切ると、程々のところが見えてくる。ところが、いつものところがどのあたりなのかは曖昧で、決まった場所はない。ただ、このあたりだろうというのは、何となくある。
 結構平凡なところで、そうだからこそもっと先へ出てみたく思うのだろう。そして出過ぎると、ここではないことが分かる。
 いつものところから少し出たあたりから、行きすぎたり戻りすぎたりしないところにあるのだろうか。
 いつものところともっと先のところとでは見るものが違ってくる。注目ポイントはそれほど違わないのだが、そこまで行くと、違うものになり、特別なものになる。
 これでは気楽に行けない。それは望んでいたものであったとしても、ちょとやり過ぎで、刺激はあるが落ち着かない。だから普段から行けるようなところではない。
 そして、程度の問題ではなく、ものが違ってしまう。そういうのを望んでいない。
 その逆もある。後退というか、もっと大人しいものだ。しかし、それでは大人しすぎて、刺激がない。ありすぎても困るが、ないのも難。
 いつものものに飽きて旅立ち、そして、そこではなかったと気付き、元来たところに戻る。すると、ほっとする。これは旅行などでもある。我が家が一番と。
 その我が家。どんな我が家だろう。我が家の中にいる間は分かり難い。そういうことだが、その一番が徐々にまた一番ではなくなり、また違うところへ行くかもしれない。
 中間に留まるのではなく、振り子のように行ったり来たりしている。中間も通り道の一つなのだ。通過駅だったりする。
 しかし、中間の何処かの駅がおそらく程々のところなのかもしれない。
 落ち着けるところ。それは程々のところだろう。何が程々なのかの程は曖昧で、動いているが。
 
   了


  


2023年5月23日

 

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