小説 川崎サイト

 

何もない火曜日

 

 佐々木は火曜日は何もない日と決めている。何かはあるのだが、週の中では何もない日で、特に用事はない。
 日々の用事はあるが、それ以外の用事がない。月曜だとゴミの日で、前日から準備しないといけない。日曜日も何もないのだが、出掛ける用事が多いのは土日。日々の用ではない。
 水曜や木曜も、それぞれ固有の用事があり、金曜日も、似たようなもの。だから曜日により変わるのだが、火曜だけは何もない。だから何もない日としている。特に何もないだけの日程度で休みではない。
 その何もない日がいつの間にか何もしなくてもいい日になった。何もない日なのだから、何かを作ってもいいのだが、それはしない。
 何もしなくてもいいというのがいいようだ。だから結局は休みに等しいが、やってもいい。そしてできる。だが、しない。これがいい。
 休みなのだが、休みではない。休みなので遊ぶとか、休みの日らしいことをして過ごすとかもない。だから何もしないと言うこと。
 しかし、完璧に何もしないわけではなく、やりたければやってもいい。だから自由時間というのが正しいが、その自由もあまり使わないようで。使わないのも自由だろう。
 他の用事がある日が忙しいわけではない。ちょっとした用事が、その週のその日にある程度。これはしなければいけない用事。これが窮屈なのかもしれない。何かをしないといけないというのが。その点、火曜日は何もない。気が楽。
 そして、火曜の朝、目が覚めると佐々木は今日は何もない日だと、にやっとする。半ばほっとしたように。
 それほど他の日はプレッシャーが掛かるほど大した用事はしていないのだが、そういうのが取れるのがいいようだ。
 今日は何もしなくてもいい火曜日。そう思うだけで、楽しくなる。
 休みの日は休むということをしないといけない。休むことも用事。しかし、佐々木の火曜日は、それではない。
 それがどうした、という話だが。
 
   了

 
 


2023年7月28日

 

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