小説 川崎サイト

 

犬歩き

 

 探していたものを既に持っており、忘れていることがある。
 それを見付けたとき、凄いものを見付けたと思う。忘れているので、初めて見るようなもの。こんなものをどうして今まで見つからなかったのかと不思議に思う。自分の目は節穴だったのかと。
 その節穴、二つないと見えにくいだろう。そう言う話ではなく、探そうと思っていなかったことを偶然見付けたとき、前振りがないためか、これは何だろうかと思う。いきなりの遭遇なので。
 それと時期が変わると登場場所や発見場所も変わる。切り口が変わるようなもので、同じものでも違った認識で見てしまうことになる。
 しかし、ものそのものは同じなので、そこは騙されない。知っているものならなおさらで、そういう括り方をしたり、見せ方をしてるのだなと思う程度。それでも別の角度からでの認識は、少しは新鮮で、再評価してもいいような気もするが。
 さて、それで、既に持っているものを忘れてしまい、新発見となるのだが、これは実は旧発見。しかし、忘れているので、旧がない。
 古い宝箱のような箱の中に、実は保存していたのだが、それさえも忘れている。そういう箱があることは知っているが、開けてみないと、何を仕舞い込んでいる箱なのか、中味が見えない。そして長い間開けることがないと、もうないのと同じ。
 しかし、以前に発見し、箱に入れたのだから、決して見逃していなかったのだ。もっと早い時期に既に見付けていたことになる。そこは抜かりがなかったのだ。
 しかし、最近、それを発見したとき、以前よりも増えていた。その中には今まで見たことがないものも含まれている。これは新しい。その後の進展があったのだろう。そのため、同じものをまた発見しただけではない。
 その後、時代が変化し、新たなものが加わったのだろう。最初に見付けた頃に比べ。
 そういう探索、調べる気ではなく、あるものを探しているときに、偶然発見することが多い。それを探していたわけではないのだが、ついでに引っかかったようなもの。いずれにしても偶然。ただ、出そうな場所であることは確かなので、必ずしも偶然とは言えないが。
 メインで探しているものよりも、ついでに拾ったものの方が値打ちがあったりする。ただ、既に拾っていたものをまた拾い直すこともあるが。
 切り口、糸口、目的が違うと、思わぬ発見があるようだ。本来の目的とは違う、別の目的の側面とか。
 まあ、ウロウロしておれば、ぶつかる確率もあるのだろう。犬も歩けば。
 
   了

 



 
 


2023年8月2日

 

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