小説 川崎サイト

 

巡礼

 

 何処かで程良いものがあるのだろう。行き過ぎず、通り過ぎず、近過ぎず遠過ぎず、また古くもなく新しくもないもの。
 そういうのは気付かないうちに通り過ぎている場合がある。ここではないだろう、もう少し先にあるはずだと思ったり、またこれは今は早すぎるとか、今では古臭いと思ったりとか。
 それで、あちらこちら巡回していると、以前に通った道筋になっていることがある。これは駄目なので、あれに行き、あれが駄目なので、違うところへ行き、さらに色々なところへ行くが、巡回のようなもので、同じ順番で回っているだけのこともある。
 それで、元来たところに戻るのだが、そこもまた通過し、また一周回って元の位置となるが、その元の位置が元だったわけではない。
 その元の位置というのは以前にあったのだろう。しかし、遠い昔の話で、今は寄ることもないし、既に行けない場所になっていたり、存在しないものになっていたりする。
 だからその一巡も、それほど古い話からではなく、手の届く最近の話。
 古いものが発見されても、古いだけに、今では通用しないものもある。だから新しいものの方が可能性が高い。新しいだけに今に対応しているため、これは使えるだろう。
 そしてその新しいものの中に、古い時代の痕跡を見付けたりする。これは復活だ。今風に。だから新しいのか古いのかがよく分からないが、そのものは新しい。
 だから、古き良き時代の美味しいところを持ってきたようなもの。今でも通用するように。
 しかし、それもまた通過点で、一巡の中の一つになり、何度目でまた巡り会えることになる。
 何故、そこで固定しないのか。そこで落ち着かないのかと思うのだが、これは飽きてくるため。飽きると退屈。だから違うことをしたくなる。違っていれば何でもいいわけではないが、違う方法とか、違うものに触れるだけで、退屈さは凌げる。
 では何故退屈し、飽きるのか。飽きるので退屈するのだが、飽きれば別のことをすればいいという程度のものだったことになる。
 そのものが、それだけのものにしか過ぎなかったのではなく、その程度の態度だったのだろう。飽きれば他所へ行けばいいという尻の軽さ。
 しかし、これは巡回するので、また戻ってきて、それをやる。だからやめたわけではなく、尻を割ったわけではない。半割だ。
 その中には完全に割ってしまい、二度と行くことがないものもある。それでもチャンスは残っている。見直す機会はあるのだ。
 だから、メインはないのだが、メインの意味となる背景のゴチャゴチャしたものはある。これは一言で、一つのものでは言い表せないのだろう。サブではなく、メイン候補が並んでいる感じで、どれもメインになるのだが、ならないで巡回している。
 まさに巡礼だ。
 
   了

 
 


2023年8月11日

 

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