小説 川崎サイト

 

瞑想

 

 町内にできたヘルスランド。温泉とスポーツセンターを合わせたようなものだが、温泉は出ない。出そうと思えば出る場所だが、かなり掘らないといけない。それに管理も大変。だから、普通の銭湯だ。
 この町内には風呂屋があったのだが、潰れている。何処の家にも風呂がある時代になったためだろう。
 町内の年寄りが、このヘルスランドの常連になり、会員になっている。ずっと風呂に入っているわけではなく、スポーツセンターで寛いでいる。
 運動が目的だが寛いでいる。安楽椅子のようなのがずらりと並んでおり、そこは休憩のため。雑誌や新聞を読んだり、飲み食いをしている者が多い。飲食は禁じられていないが、売店のようなのがあるし、自販機もあるので、そこで買ったものはいい。
「ほほう、瞑想ですか」
「最近始めましてね。流石にこの椅子では座れません。椅子の上であぐらをかくのは、やはりおかしいでしょ。自分の家ならいいのですが」
「私も瞑想のようなものをしたことがありますよ。あれは高校時代かな。授業でね」
「瞑想を取り入れた学校なのですか」
「いえ、授業が始まる前に、それをやらす先生がいましてね。その先生の授業だけですよ。五分ほどですが」
「椅子に座ったままで」
「床に座ると妙でしょ。これは罰でしょ。罪で正座です」
「そうですねえ。学校の椅子、固いですし、小さいので正座などすると痛いですよ。それこそ拷問」
「だから、普通に座った状態で、背中をシャキッとさせて、正面を見て、じっとしているだけです」
「見るのですか、正面を。ああ方角がそうなるだけですか。はいはい」
「いえ、目は開けたままです。でも瞬きはしてはいけません。すると涙が出てきますので、それは流し放題でいいのです。まあ、悲しくなくても涙は出ますからね。目にゴミが入ったときとか」
「五分間。瞬きしないで、じっとしているだけの瞑想ですか。それ、何かおかしくはありませんか」
「その先生、ヨガをやっているのです。その一派で、そういうのがあったのでしょうねえ」
「余所見も駄目」
「はい、目玉を動かしては駄目。目が固まるほどじっとしているのです。しかし、瞬きはしますし、キョロキョロもしますよ。しないまでも目を少し小さくしたり大きくしたりします。閉じなければいいのですから、ぎりりのところまでは大丈夫です」
「それは何の効果があるのですか」
「見えるらしいのです」
「だから、目は開けたままなので、前のものが見えているでしょ」
「いえ、違うものが見えるのです」
「幻覚が現れるようなものですか」
「さあ、それは分かりませんが、四次元が見えるとか」
「これは眉唾ですねえ。あなた見ました?」
「ただの模様ですよ。でも一瞬実際に見えているものが消えたりしましたよ。これは涙のせいでしょうねえ」
「目のゴミが見えたりして」
「そんなことで簡単に誰でも四次元が見えるなら楽な話ですよ」
「そうですねえ。そこの高校生で、その先生の授業を受ける、全員見えるようになるわけですから」
「まあ、それよりも、少しだけ現実から遠のきますよ。これでしょ。瞑想で、一寸だけ現実から離れる」
「五分でよかったですねえ」
「でも、みんな真面目にやってましたよ」
「きっとそんな行が面白かったのでしょうねえ。学校で、そんなことをやるのも」
「きっとそうだと思います」
「その先生、大丈夫ですか。そんなことをして」
「その先生は瞑想中に北極まで行ったらしいのです。そこから地底へ続く穴が空いてまして、下りたらしいのです」
「言い過ぎですねえ」
「いや、先生が行ったわけじゃなく、行けたのは北極の穴の手前までで、その先の地底へ下りたのは守護霊らしいです。そこで見た地底の世界を守護霊から教えてもらったとか」
「地球空洞説ですねえ」
「そうです」
「ややこしい先生ですねえ。守護霊まで持ち出すとは。もうヨガの瞑想から離れていませんか」
「しかも授業をしないで、そんな話だけで終わったこともありました」
「でも守護霊が見に行ったとして、その間、その先生を誰が守るのでしょうねえ」
「あのう」
「何ですか」
「そんな心配、しなくてもいいと思いますよ」
「ああ、そうですねえ。瞑想の話が妄想の話になっただけですから」
「まあ、そうです」
 
   了


2023年8月31日

 

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