帰って来た兄弟子
西方館という私塾がある。藩にもあるが、学問の系譜が違う。
西方覚三という人が開いた。既に亡くなっており、その弟子があとを継いだ。藩の学問所のようなところよりも、優れた門弟が来ている。
その学問、儒学を元にしているが、危険ものではなく、逆に柔らかくした独自の考え。やや安易で生ぬるいが、儒学と言いながら、諸子百家の良いところなどを取り入れている。西方覚三の博識の広さだ。
時代とは逆に穏やかさがある。
そこへある旅人が訪ねてきた。そういうところに来るのだから、それなりの人だろうが、身形は良くない。旅に疲れた浪人そのもので、痩せ細った中年男。二本差しなので、一応侍だろう。
疋田三郎と名乗る。言えば分かると玄関の間に詰めていた弟子に言う。
「疋田三郎」
「はい。そう名乗っています」
「知らんなあ」
「どういたしましょう」
「私は知らないが、先生なら知っているかもしれない。聞いてくる」
先生とは、ここでは塾長のこと。西方館なので、館長だが、塾長とか、師匠とか、先生のほうが呼びやすい。
その先生、西方覚三の初期の頃の弟子。彼があとを継いでいる。優れた弟子だったためだ。また西方覚三の教えを忠実に守っている。そのため、西方覚三がいたときよりも、塾生は増えている。
先生はその名を聞き、思い当たるところがあるようだ。
まさか、今日、ここに来ているとは、信じられないと言うより、滅多に思いだしたこともない人。しかし記憶にはある。それよりも最初の頃は世話になった。この人の兄弟子に当たるのが箕田三郎。そして一番弟子。
本来、箕田三郎があとを継いでもおかしくないが、そこにいたのは短い。諸国行脚したいと言い出し、そのまま出ていった。そして戻ってこなかった。
塾長は緊張した。兄弟子の帰還。歓迎しなければと思い、御馳走を用意させた。
その緊張は、そういうこともあるが、何をしに来たのか。これが不安。
本来、あとを継ぐ人。西方覚三もその気でいたのだ。塾長はそれを知っているし、また同席していた。
しかし、フッと出ていき、戻ってこないのだから、継ぎようがない。それに西方覚三が亡くなったときも、戻っていない。知らなかったのだろうか。
それを今日、知ることになるのだが、彼が出て行ってからの年数を考えれば、寿命の向こう側。亡くなっていて当然なので、知っているはず。
箕田三郎は客間で御馳走を食べていた。その下座に塾長がにこやかな顔で昔の思い出を語っている。
しかし、何か言い出すのではないかと、笑い顔も小さい。
「ちょっと寄っただけでな。他意はない」
「このままここに留まりますか。是非、お戻り下さい」
「いやいや、塾のことなど放ったらかしで、旅暮らし。色々と思案しながらの道中。今だその最中でな。昨日は何も食べていなかったので、この御馳走、嬉しい限りだよ」
「これからどうなされます」
「近くまで来ることが何度かあった。また来ても良いかな」
「また旅へ」
「来たら、また御馳走を頼む」
「おやすい御用で」
塾長はほっとした。
了
2023年9月25日