小説 川崎サイト

 

渋柿

 

 秋の風が吹く頃、夏は終わっている。夏に秋の風が吹くこともあるが。
 また秋に夏の風が吹くこともある。まだ浅き秋のためだろう。季節は行きつ戻りつを繰り返すが、さらに進めば夏には戻れない秋になり、今度は冬の風が吹き出す。
 秋らしい秋はしばらくの間かもしれないし、また秋らしさなどなかった秋もあった。
 土田は秋が来たことを気温で知る。夏服のままでは涼しすぎるので、それに気付く。しかし、まだ解放的な夏を続けたい。
 ただ、土田は夏の間。何も解放しなかった。
 暑いので、何もしないで、グターとしていただけで、何の展開も発展もなく、停滞していた。
 解放していたのは怠けることだけ。ここは大いに解放できたのだが、溜まっている用事が片付かないままでは、あとが苦しい。その苦しさが来るのが秋。
 それが来たことを知ったが、夏をまだ続けたかった。
 頭も冴えだしている。冷静に物事を捉えることができる状態。これは暑いときは、一寸は考えるが、その先までは行かない。
 つまり、行動が伴わないし、面倒なことは汗で流している。体を使い、汗が出るのではない。それなら、何かをしている。
 ただ、何もしなくても夏場は汗が出る。そのタイプの汗だ。
 土田は頭がスキッとしてきたので、もう夏のようにはグターとできない。嫌でも物事を考える。夏場でも考えるのだが、種類が違う。マナツノヨルノユメのようなことなので、これは妄想に近い。良くて想像だ。
 秋になり、頭がシャキッとし出すと、具体的なことが頭に浮かぶ。リアルなことが。それと向かい合わないといけないのがこの季節。
 アリとキリギリス。土田はキリギリスだが、演奏したり歌ったり、芸をしたり、趣味に走っていたわけではない。ただの怠け者のキリギリス。
 これはアリのように夏でも働いていないだけなので、キリギリスでなくてもいいのだが、キリギリスの方が分かりやすい。
 怠け者のキリギリス。夏場楽しんだわけではない。暑い暑いと言いながらゴロゴロしていただけ。何の生産性もないが、真夏を無事越えることはできた。これだけでも充分だろう。
 秋風が吹いてからしばらくすると青い柿の実が黄色を帯びだした。そのうち柿色になるだろう。それを見ると、まるで信号機を見るような思いで、柿の実の黄が黄信号に見える。これを見ると、焦る。
 しかし、焦ることもないかと、また怠け癖が出る。怠けていても、それなりにやってこられたので、この先も大丈夫だと楽天的。
 怠け者の土田だが、最低限のことは渋々やっているようだ。まさに渋柿を囓る思いで。
 
   了


2023年10月9日

 

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