小説 川崎サイト

 

帽子男

 

 その日の仕事は順調で、今までにはないようなパーフェクトなものだった。
 非常にいい日。高田はいい気分で仕事先から帰るところだった。調子のいい日。こんな日に限り、ガクンとなるような事が起こりやすい。このガクンとは急激な変化。
 それが何であるのかは予想できない。起こったあと、ああ、これが来たのかと分かる程度。
 地下鉄で乗換駅まで行くのだが、そこは繁華街でもある。こんないい日は、そのまま帰った方が無難だが、気持ちは高ぶっている。仕事が上手くいき、将来に明る見通しが付いた。これを記念日としてもいい。あの日から良くなっていったと。
 だから、一人で祝杯でも挙げたいところ。そこまで行かなくても、一寸ウロウロするぐらいはいいだろう。上がったテンションを下げてから戻った方が良い。
 いつもならつまらない顔で繁華街を歩くのだが、今日は胸を張っている。行きつけの店もあるので、そこで一寸いいものを食べてもいい。仕事先での地位も上がり収入も増えるはず。いつもなら頼まない高いタイプを食べても、もういいだろう。
 繁華街には色々な店や商業施設がある。中にはややこしい店もあるが、ほぼそのままのややこしさだろう。
 今日はややこしいものよりも、メジャーなものがいい。定食屋ではなく、レストラン風な高い店。滅多に入らないが、一応は行きつけの店の中の一つ。
 夕方なので、先ずは腹ごしらえだ。今日は自炊しなくてもいい。こういういい日ほど地味さに徹するのがいいのだが、浮ついた気持ちは抑えられない。
 といって贅沢をするわけではない。高いといってもしれている。そしてそれが食べたいわけではなく、そういう余裕が欲しいだけ。
 これは懐具合の余裕の見せ所。発散のしどころ。しかし、まだ収入が増えるのは先の話だが。
 店に入ると、年寄りが多い。高田が一番若いのではないかと思われる。古いレストランで造りも古い。今風ではないため、年寄りが入りやすいのかもしれない。そして高い。
 四人掛けのテーブルが空いていたので、その一つに高田は座る。
 年寄りグループが何組もいる。一人で来ているのは一人だけ。高田の他に一人いるのだ。
 その人はレストランの中でも帽子を脱がず、黙々と食べている。フォークとナイフではなく、箸で。
 高田の丁度左前。目を合わすとまずいような気がした。
 しかし、視線を感じる。きっとその帽子男、高田をずっと見ているのではないか。顔は高田を向けていないが、目の玉だけはピタリと向けていそうな。
 こういう日ほど注意しないといけないのに、まっすぐに帰らなかった。この帽子男が後々まで禍になる初接触になるのではないかと、変な想像をした。
 運ばれてきた料理を食べながら、高田はそのことを気にしたが、やはり目先舌先の刺激のほうが強いのか、帽子男から離れた。
 そして、食べ終わる頃、帽子男が立ち上がった。そのままゆっくりとレジの方へ向かった。高田など見ていない。向きが違うためだろうか。何らかの接触があるのではないかと思っていたが、違っていた。
 これではなかった。
 そして、何か怖くなり、繁華街の通りを早足で歩き、乗換駅に辿り着いた。あとはいつもの電車に乗り、いつもの駅で降り、帰るだけ。
 しかし、果たしてそうだろうか。真っ直ぐ帰してもらえるのだろうか。
 では誰がトラップのようなものを仕掛けているというのだ。
 ホームに入ってきた電車に急いで乗る。ただ、ラッシュ時なので、ホームで並ばないといけないが、できるだけ前の方に並べたようだ。これは座れる。
 反対側のドアが開き、客が降りたころ、手前のドアが開き、行列が急に団子になる。順番が狂うのだが、これは高田も心得たもので、サッと乗り込む。そして空いている席を見付け、これもサッと座る。やはり、今日は調子が良いのだ。
 しかし、五駅ほど先の駅で降りるのだが、止まらなかった。間違って特急に乗ってしまった。
 外食したので、時間帯が変わり、勘が狂ったのだろう。そのホームは各駅停車の乗り場だと。
 そして行きすぎたが、かなり先の駅で止まったので、そこで降り、引き返した。今度は間違えなかった。
 上りの電車のなるので、客は少なかった。
 その中に帽子男がいた。
 
   了
 


2023年10月13日

 

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