小説 川崎サイト

 

念の情報

 

 情報の中に情念や情緒のようなものが含まれていることがある。そう感じるだけで、実際には情報の中にはなく、受け取る側の問題かもしれないが、情念も情報の一つだ。
 ただ、自家発電なので、その人にしか分からない。また情念のデータを情報として取り出しても、やはり他の人が見ると、情感のある情報としてみているだけかもしれない。
 つまり情報を再生する側の問題。情念豊かな情報でも、聞き取れなかったりするし、違うものとして捉えたりする。
 ただ、情念とみられる情報も、実際にはそのものではなく、やはり情念は情報には乗せられないのかもしれない。
 たとえば言葉でいくら伝えても、伝えきれないように。また音楽や映像で伝えても、それもまた上辺のほうが目立ち、その奥にあるものは聞き取るだけの何かがいる。情報に乗らない領域のため。
 人が何かを見たり、触れたり、接した体験。これを人にそのまま伝えるのは難しいのと同じ。意味は伝えられるが、それは情報。感じというのは分かり難い。
 しかし、その感じの欠片や大意は伝えられるだろう。受ける側がそのパターンのような皿を持っていての話だが。
 そのため、似たような皿で当てはめようとする。それが精一杯で、そのものが伝わったのではない。伝わるが解読していないようなもの。この解読が厄介で、感じは感じとしか言えないような曖昧なものなので。
 しかし、大凡のことが分かれば支障はない。怒っているのに笑っていると勘違いしない程度に。
「それがどうかしたのかね竹田君」
「いえ、伝えるのは難しいなあと思っただけです」
「で、何を伝えたかったのかね」
「それは言えませんが、誤解があったようです」
「相手がかね」
「誤解と言うほど離れていませんが、ニュアンスが一寸違うのです。それで相手は分かったような気になっていますので、そうじゃないというのが言いたかったのですが、これはくどいので、やめましたが」
「また、微妙なところにいるねえ、竹田君は」
「完璧に伝えることは無理だとは分かっていますが」
「じゃ、いいじゃないか」
「そうですねえ。まあ、情念の念というのは怖いです」
「念のためにいっておきますがね、竹田君」
「はい」
「念を込めれば念が読めると言われていますよ。ただ、実証されていません」
「はい、また訳の分からないことをいいだして、すみません」
「余計なことを考えないで、作業に戻りなさい」
「あ、はい」
 
   了

 


2023年10月16日

 

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