小説 川崎サイト

 

天狗

 

 山の怪と言うのなら海の怪、海怪もあるはず。しかしカイカイでは痒そうで、語呂が良くない。
 山の中で天狗に出合ったという話はよく聞く。分かりやすく、また天狗は有名なため。
 天狗にも種類があるようだが、誰が調べたのか、または言い出したのかは分からない。
 鞍馬天狗も天狗だ。天狗党というのもある。何か人を超えた存在だろう。ただ、鞍馬天狗は天狗ではないし、天狗党の人々も天狗ではない。
 天狗になるというのもよく聞く。修験者、行者から天狗になるというのもあるし、また自慢しすぎたり自信過剰になることを天狗になるとも言う。
 だから天狗の種類は多い。ただ、本物の天狗を捕まえたという話は聞かない。そういう言い伝えが残っているかもしれないが。
 怪異を起こすのは狐狸が多いが、これは村内や、里山までで、その先の山になると、天狗の縄張りか、同じ怪異でも天狗の仕業とされるようになる。
 ご免下さいと玄関から入ってくる天狗は見かけないが、これはこれで驚くだろう。
 狐狸と違い、天狗は人型。鼻がピノキオのように長いのは特徴がありすぎるので、鼻だけを見て天狗だと分かったりする。実は違うものだったりしても。
 ある武家の子供が天狗と仲良しになり、毎日将棋を教えてもらったとかの話は聞かないが、牛若丸は天狗から武道を習ったらしいので、あるかもしれない。
 知恵のある天狗もいたはずで、そういう人は人相的にも鼻が高かったのかもしれない。聡明な感じがする。当然海外から来た人はそのへんにいる人よりも鼻が高いだろう。
 天狗の狗は犬だ。天狗と近いところは、鼻が特徴。臭いに強いのが犬。形ではない。しかし、漢字にするとそうなるので、こじつけになるが。
 純天狗、古典的な天狗は深い山にいる。だから人と接触することはない。昔の人は深山には入り込まないので。そこは神が住む場所。
 だから、そんな深い山なら人が知らないものがいてもおかしくない。神や天狗以外にもややこしいものがウジャウジャいたとしても。
 いずれも人が入り込まない場所なので、何がいるのかいないのかさえ分からないので、あとは想像。
 深山では怪異があってもおかしくはない。人の視線が来ないような場所。
 ただ、高い山なら里から見えているので、視線は充分あるが、遠すぎて天狗がいても見えない。
 これが上空から拡大して見えるようになると、途端に神秘が消えてしまう。
 聖地とか聖域が消えるのだが、その中に身体を実際に入れてみなければ、分からない世界があるようだ。
 天狗はいないかもしれないが、天狗のようなものはいるのだろう。
 
   了
 

 


2023年10月20日

 

小説 川崎サイト