万が一
これはどうせ駄目だろうと思うことを武田はやってみた。ダメモトではない。思ってもいない成果を得たのではなく、それは適当でいいことだった。
本当はそこではない。その範囲内にはあるが、それではない。だから結果は駄目だった、でよい。
そこでエネルギーを使うのは惜しい。時間的にも。それではないのだから。それにそれほどいいものだとは思えないので、本来ならキャンセル。
しかし、もったいないので、武田はやってみた。こんなところで遊んでいる場合ではないと思いながら。結果的には駄目だった。これは覚悟していたことなので、ショックはない。ダメージも少ない。
しかし、万が一というのがあった。あまり理想的なものではなかったが、こればかりはやってみないと分からない。だが失敗する方を期待していた。どうせ駄目だろうと。
これは何だろうかと武田は考えた。
理想的なもので失敗するとショックだ。しかしそうではないものなら気楽に失敗できる。だから失敗を恐れているだけで、失敗したときのいいわけをやる前に準備していたようなもの。
ああやっぱりなあ、という。
成るはずのものが成らないと嫌な感じだ。しかし成らないと思っているのと成らなくてもそれでいい。期待がないためだろう。
そのため武田は失敗しそうなことばかりやっている。逆に絶対にうまくいくものほど怖い。確率が高くても、そちらにも万が一があり、うまくいかないときがあるからだ。
それで安心して挑めるのが失敗するだろうと思われること。ただ、ある範囲内に入っていないと駄目。うまくいっても欲しくなかったものが手に入っても仕方がない。
そのため、失敗の確率の高いものばかりやっていると、成功の確率が高いものをやったときは効果的。ほぼ成功するからだ。そのため、これまでの失敗が生きる。やっと事成ったと。
しかし、ずいぶんと曲がりくどいことをするものだ。最初から成功率、達成率の高いものに挑めばいいのに。
失敗と成功の分かれ目は盛り上がりだろうか。成功するものは最初から盛り上がっている。挑む前からすでに分かる。しかし、そういうことばかりだと意外性や驚きがない。いつもの道をいつも通り通っているだけ。
そしてその安定感も完璧ではなく、意外と失敗することがある。それはいい驚きではなく、残念さだけ。
こんなはずはなかったのに、となる。これが怖い。だから失敗して当然のようなものをやる方が気楽。
しかし、武田がやっていることは成功しても失敗してもどうでもいいこと。だから余計なことをやっているのだ。その余計なことの中にも、良い余計と悪い余計があるだけ。だが、全体から見ると、それら全部が余計事。
ただ、本来のものよりも、この余計なことの方が興味深い。
了
2023年11月12日