小説 川崎サイト

 

何もない一日

 

 事通りのことが事通り運んでいくだけで、特に今のところ何もない一日のようだ。
 竹村はこういう日は珍しいのではないかと思われた。面白味のない日。
 ではいつもは面白いことがあるのかというと、そこまで面白くはないが、何かある。
 一寸した刺激物のようなもので、おやっと思わせるようなものがある。結果的には大したことではなく、魚釣りのウキが波や風で動くが下へすっと引かない。
 あるべき事があるべきように動いているだけ。変化がない。そういう日もたまにあるのだが、まさに面白味のない日。
 これはこなしやすいのだが、退屈さが顔を覗かせる。嘘でもいいので、一寸したものが欲しい。期待させるだけのものでもいい。
 だが、平穏の中にも刺激的なものも含まれているのだが、これは慣れた刺激なので、もう麻痺してしまい、刺激だとは思えなくなっている。以前なら十分刺激的だったはずだが。
 その状態、竹村はまずいとまでは思っていないが、なぜか面白げが足りないとは感じる。
 別に面白くなくてもいい。怖いことや不安になるようなことでは困る。そちらの刺激ではない。安全な刺激だ。そして大きすぎても多すぎても困る。微妙なところ。
 これはこの機会にテコ入れすべきではないかと竹村は考えたりする。一寸変えてみること自体が刺激を生むので。外にないのなら、内側からという作戦。しかし、これは面倒なことになる。いつもを変えてしまうのだから。
 だから、そういう面白味のない日があっても仕方がないと思う方が無難。これは外からやってくるので、受け取りやすさを工夫する程度。
 そして竹村も徐々に変化する。面白さも変わるということだ。だからあえて内側を変える必要はない。勝手に変わっていくのだから。その証拠に、昔とは違うものを待つようになる。当然竹村側からも仕掛けるが。
 また、竹村は発想を変えることもよくやる。態度や姿勢を変える。だが、これはすぐに戻ってしまい、三日も続かなかったりする。すぐに素に戻されるのだ。
 その素も本当は変化している。これも無理に素を変える必要はない。
 何もない面白味のない一日。これはこれで無事に一日を終えたとすれば、それだけでも十分かもしれない。
 その日、竹村はまだ終えていない。何もない一日のはずでも、もしかすると。
 
   了


2023年11月20日

 

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