小説 川崎サイト

 

偉人

 

 島田は植村浩一郎という偉人の伝記のようなものを書いている。伝えられている評伝も含み、ただの噂なども多い。
 実際に残した業績はかなりのもので、人がなしえなかったことを植村は果たしている。ただ、植村も人。鬼神ではない。偉人ではあったが、一応は人。だから人ならできることで、植村だけにできることではない。しかし、実際にそれをやった人は植村だけ。
 島田はどうして植村がそれができたのかを考えている。その理由はいろいろと考えられるが、結果から見た理由が多い。こじつけではないものの植村の生まれ育ち、経歴や経験したことなどを結果に結びつけたいのだろう。
 こういうことがあったので、植村は名をなすほどのことをしたと。その要因としては当然だが。
 しかし、島田はそこにポイントを持ってこないで、植村は何を考えて、その道を切り開いたり、また凄い選択をしていったのかが気になった。
 そして調べているうちに、これは筋道がおかしいと思い出した。なぜそこからここへ飛ぶのか。また、そのときの選択が理に合わないとかも。
 あとで、それは結びつくのだが、そのとき、どうして植村にそんな発想ができたのか、砕いていえば、そんな気持ちになったのか。
 常識の外に出る。常識に縛られない。平たく言えばそういうことだが、因果の外に出るようなもの。理屈の外側に出るようなもの。
 とんでもないところに飛んでしまうこと。そういうことなのだが、そのときの植村の頭の中はどうなっていたのかと、島田は考えてみた。その仕掛け、システムのようなもの。
 偉業を果たした人の中で、常識にとらわれなかったことが効いたのだと言われているが、全てではない。
 それは偉業のタイプにもよるが、これは発想の問題かもしれない。特に村岡の発想が突拍子もない飛び方で出てきたとしか思えないので。
 まるでそれは博打のようなもの。一か八かの選択で、理屈では出せない。
 では村岡浩一郎はただの偶然の積み重ねで偉業を成したのだろうか。偶然だけでは無理なので、その線はない。これは村岡の文章を読むと、理詰めで、理屈っぽい方。かなり硬い。
 勘、カンが鋭かった形跡がある。五感ではなく、第六感。しかし、五感以外は感じることができない。そして五感の内は常識の範囲内をわきまえている。だから外には飛び出さない。五感の縛りが人にはある。
 村岡が常識の枠を越えた発想ができたのは、この第六感のリードではないかと思いついた。それで凡人にはできないことを成し、成功を収めた。
 確かに素晴らしい人だったが、本人はどうだったのだろう。その晩年、事をなし続けるどころか、いろいろと失敗している。見当違いなことをやり出したり、言い出したりしている。勘が狂ったのだろう。
 人よりも優った人もいいし、名を成し偉人はさらにいいのだが、その人は果たしてどうだったのか。
 島田はその伝記を書きながら、そこは触れないようにした。
 
   了

 


 


2023年12月8日

 

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