小説 川崎サイト

 

年越しソバ

川崎ゆきお



 山田は年の瀬に都心部を歩くのを行事としていた。単独行動で、ぶらぶらする。
 最近は忘年会に呼ばれる機会もない。断り続けたため、もう誘われなくなったのだ。
 山田はそのほうが落ち着く。群れで動くよりもソロで行動するのが似合っているのだ。誰に気兼ねする事なく動ける。
 実際には大した行動ではない。人の群がる改札前やショッピング街を通り抜けるのが好きなのだ。
 この行動は誰かと一緒にやるようなネタではない。目的がはっきりしないためだ。
 また、足の向くまま、気の向くまま歩く場所を変える。これは、感覚の問題で、個人的な気分がレーダーになっているのだ。
 そのため、山田にしか意味が分からない。その山田も意味があってやっているわけではない。人波に流されて進むこともあるし、曲がりにくい角は直進する。
 ソロの気楽さは、行動を説明する必要がないことだ。
 明日はいよいよ大晦日で、会社も仕事収めで終わっている。そのため人が少ないように思える。
 会社帰りに寄る人が多いためだろう。
 山田はガード下の飲食街に入った。細い路地が何本も伸びている。迷路のような場所だが、飲み屋がずらりと並んでいる。
 ここを通るのはトイレがあるためだ。
 その路地の突き当たりの寂しい場所に立ち食いソバ屋がある。客は一人もいない。
 山田はこの店で毎年年越しソバを食べている。一日早いのだが、今なら年越しソバを食べているとは思われないので都合がいいのだ。
 もう二十年以上、ここで食べているのだが、店のおばさんはそのままだ。
 年をとらないのか、ある程度年をとるとそのまま固定するのか、全く変化がない。
 店も昔のままだ。
 ガード下への入り口付近にも立ち食いソバ屋があり、そこは客が多い。その店に客が取られてしまっているのだ。もう少し奥へ入り込み、さらに角を曲がれば、山田愛用のソバ屋があるのだが、そこにたどり着けないのだろう。
 この店の後ろはガード下の端だ。非常に奥まった場所にある。隣の焼き鳥屋屋や中華屋は客は入っている。
 やはり飲むことを目的として、このガード下に来るのだから、ソバ屋があっても興味がないのかもしれない。
 山田はふと考えた。このソバ屋は存在しないのではないかと。
 店のおばさんが年をとらないのも、それで説明がつく。また、このおばさんはほとんど表情がない。
 山田はそんなことを考えながら、メニューにはない揚げのきざみソバを今年も食べた。
 
   了


2007年12月30日

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