野菜炒め定食
川崎ゆきお
それは昼過ぎだった。 腹は減っているはずだが食欲はなかった。 しかし、何か胃に入れないといけない時間帯だ。 その日、自転車に乗ったまま自転車を買った。 そのため乗って来た自転車で一旦戻り、徒歩で取りに行く最中だった。 春とはいえ、夏のように暑い日で、食欲がないのもそのためだ。 自転車屋の手前に喫茶店があった。 日曜日でも開いていた。 腹よりも炎天下を歩いて来たので喉が渇いていた。 しかし、どうせ食べないといけないと思い、ご飯類を注文した。 食欲はないが腹は空いているはずなので、定食にした。 喫茶店の定食なので、大した量はないし、注文したのは野菜炒め定食なので、食べ切れると見込んだ。 この喫茶店に入るのは初めてだった。 客はいない。 愛想の悪そうなママさんが、奥で野菜炒めを作っている音がする。 音楽はなく、テレビのバラエティー番組が聞こえてくる。 昼を過ぎたとはいえ、客がいない。いつもそうなのか、日曜なのでそうなのかは分からない。 運ばれて来た野菜炒め定食は思った以上にボリュームがあった。野菜は炒めると嵩が減る。しかし、減った状態でもかなりの量だ。 ご飯の量も多い。大衆食堂並の丼茶碗だ。 目測では食べ切れる量だ。後は食べながら徐々に食欲の援軍が来れば楽勝だ。 勝てる相手だった。 野菜炒めと言っても、野菜だけを炒めたものではない。豚肉がかなり入っている。 野菜はタマネギやピーマンにニンジンやニラ等々……八宝菜のように、その他の繊維類が入っている。しかし柔らかいキャベツが入っていない。買い忘れたのだろうか。 キャベツがメインなら、それほどの量にはならないし、ボリュームも少ない。しかしニンジンやタマネギはそれほど縮小しない。そしてかなり噛み砕く必要がある。 味噌汁の中にも複数の野菜が入っていた。しかも豆腐やジャガイモまで入っている。 野菜はどれも美味しい。近くに畑があるような場所なので、土地の野菜かもしれない。よく肥えた野菜なのだ。 四分の一が限界だった。 カウンターからテレビを見ているママさんは神経質な顔立ちで、笑顔がない。 メニューを持って来るときも、注文を聞くときも、最小限の声しか出さず、どこか邪魔臭そうだった。 いつもはマスターがやっているのかもしれない。 その証拠が野菜炒めに出ている。子供に食べさせるような家庭料理に近い。 具や種類が多すぎる。もっと言えば残り物を適当に炒めたような感じなのだ。 ご飯も半分以上残っている。 ボリュームの目算を誤った。 喫茶店の定食はたまに食べている。しかし、ここまで詰まっていない。それは喫茶店も商売でやっているからで、豊富な食材を使えば利益にならない。 母親が作る野菜炒めは標準から逸脱する量になることがある。この店がそれなのだ。 味噌汁などはワカメが適当に浮かんでいればよい。 それなのに、豚汁のように具が多い。 このままでは出にくい。 しかし、もう喉に通すどころか口に入れる気にもなれない。 決して不味い料理だからではない。想像を遥かに越えたものが出て来ただけなのだ。 それは悪いものではなく、ママさんの無愛想さとは裏腹に、充実感のある野菜炒め定食なのだ。 丼茶碗の中のご飯を箸でぐっと押さえてみた。少しでもボリュームを減らすため、圧縮をかけた。 二割りほど減った気がする。 野菜炒めの皿は野菜類を周囲にドーナツ状にし、土手を作り、皿の底を多く見せると同時に、土手を固く作り、圧縮させた。 見た感じ、半分ほど減ったような気がする。 こういうとき、紙ナプキンがあれば、それで隠せるのだが、この店にはない。 この店が牛丼屋なら、いくら残しても問題は何もないし、何の後腐れもない。 次に行ったときは別のバイトがやっているだろうし、食券を買って食べる店なら、食べ残した状態で素早く立ち去れる。また紙ナプキンも豊富だ。 しかし、この喫茶店は難問だ。 客はいない。 どうしても目立つ。 もう、これ以上少なく見せるカムフラージュが効かない限界に達しので、席を立つ。 レジはなく、カウンターの上に一万円札を置いた。 ママさんは一瞬動きが止まった。 食べ残しよりも、釣銭の用意がないらしく、奥の住居へ入って行った。 そして無事、窮地を脱した。 了 2005年5月5日 |