小説 川崎サイト

 

淡々粛々

 

 年明け、柴田は気概がない。危害がなくて幸いだが、盛り上がりもないし、盛り下がりもない。淡々。
 これは柴田が狙っていたことなのかどうかは分からないが、気分は悪くはない。少しだけよい。だったら気分のいい年明けなのだが、それほどの良さではない。波風が静か。しかし波もあるし風もある。ただ弱い。
 それで元旦からしばらく経つのだが、まさに静かな年の初め。気負いもない。
 しかし、全くないわけではなく、少しはある。今年はこうしたいというようなことや、ずっとできなかったことをやってみたいとか。
 しかし、これは思っているだけで実行する可能性は低いが。気が向けばやる程度。気持ちの上でどうとでもなる問題ばかりではないが、よく忘れるので、問題がないような感じ。思い出せば問題は浮かび上がるが。
 淡々粛々、そんなことをいつ決めたのかと柴田は考える。これも深くはない。一寸気になっただけ。これが目標だったのかどうかは曖昧。そういうのもいいとは思っていたが、退屈だろうと思い、目的にはしなかった。
 ずっと柴田が思っている目的のようなものもあるにはあるが、途中で、もうどうでもいいかと言うことで中断したり、やめてしまっている。それで最近は目的がなくなっていたのだろうか。
 これは目的を持たないことが目的というひねり方ではない。余計にややこしくなり、言わない方がいい。何も言っていないのだから。
 そうこうしているうちに、昨年の暮れ近くから淡々と過ごすことが多くなった。実際にはドタバタすることがあるし、埃も立つのだが、これは感情のある動物なので、仕方がない。なければ困る。
 それにしては例年にない年明け。過ごし方になっている。はつらつとしたところがないのだが、全くないのではなく、それがじわっとあるだけ。
 これという目的がないので、パワーが低いのだ。目的や目標がないので空回りになるためかもしれない。
 しかし、目的と言うほどのものではないが、細々とした目的はある。その程度のものなら、パワーはいらない。それこそ淡々とやっていける。
 今年は何もないので、頑張らなくてもいいので、そうなっているようだ。だから頑張らなくてもできることをやっている。
 いつもなら、そういうのはメインにはならないので、やるのが嫌だったが、最近は楽にできるようになった。
「柴田さん、悟りましたね。もう少しすると生きているだけで幸せの境地に達しますよ」
「それはいけない。何とか目的を作って余計なことをしないと」
「いやいや、余計なことならしないかもしれませんよ。何か目的があるはず。それに向かいましょうや。そうでないと悟ってしまいますからね」
「何がいいのかなあ」
「柴田さん。それは何でもいいのですよ」
「ああ、そうなんだ。それなら気楽だ」
「しかし、少し頑張らないといけない程度の歯ごたえがなければ間が持ちませんよ」
「なるほどなあ」
「静かな年明けって、おつに浸っている場合じゃないですよ」
 友人にそういわれ、柴田はどうでもいいことに熱中しだした。一寸しんどく、疲れるが、これがいいのだろう。
 
   了



2024年1月7日

 

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