小説 川崎サイト

 

ひょんなこと

 

 ひょんなことから得たものや、知ったことがある。偶然との遭遇だが、無視する程度なら偶然も起こっていない。
 普通の風景が続いている程度。だからひょんな遭遇とか、ひょんな出来事は偶然とは少し違い、偶然の枠よりも広い。ひょんなことは偶然に起こるのだが、偶然だとは思わないほど直接的だったりする。
 もう既に偶然を受け入れており、その先へ行っている。だから偶然だとあとで気付く。
 偶然はいろいろなところで起こっている。これは偶然だなとその偶然を見ている。ワンテンポある。
 偶然にも種類があり、偶然だと感じ、思い当たるところがあるタイプと。それがないタイプ。
 ふとしたことからとか、ひょんなことで、とかがそれかもしれない。だから絵に描いたような偶然で、驚くわけではない。
 ついついとか、何となくとかでは偶然を意識しないまますっとやっていたり、見ていたり、感じていたりする。特に何となくやってしまっているとか。
 いろいろとニュアンスの違い、差し込み方の違い、内での処理系が違うのだが、頭の中で考えていた筋道とは違うところへ持って行かれることがある。
 これは体感の問題なのか、体の方が先に動いているような感じで、その着火を自分で意識的にやったわけではない。そうするように命じるように。
 または決心。それらをスルーして、実行していることがある。やろうと思えばできることだが、機会がなければやらないとかで、避けているわけではないが、普段はやろうとしない。
 習慣化されていると別だが、これではいつものことをいつも通りやっているだけなので、ふとやり出したとか、ひょんなことがきっかけでスイッチが入ったのとは違う。
 気になるようなこと、気がかりとかは忘れていてもきっかけがあると浮上するのだろう。また、解決していたものも再燃したりとかも。これは無理に解決したようなタイプに多い。未練などがそうだ。
 そういうのは意識すれば思い出せるのだが、解決したことになったおれば、もうそれ以上くすぶらないようになっている。
 しかし、その気になれば再考してもいいし、それも可能だ。深く記憶の中に沈み込んで、というのとは違う。知っていることだが忘れただけのことが多い。
 ひょんなことの仕掛けが興味深い。自動的にそっちへ行っていたりするのだが、これと偶然の関係が曖昧。
 たとえば禁じ手のはずのものを突破する裏道だったりしそうだ。ひょんなことなので、自分が決めて向かったのではない、とかのいいわけにも使える。裏技なのだ。
 しかし、偶然や何となくとか、ひょんなことが意外と多いかもしれない。ただそれらは操縦できないので、危なっかしい。
 
   了


2024年1月10日

 

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