小説 川崎サイト

 

古木参り

 

 富田は月に一度行く所がある。大した用件ではないし行かなくても支障はないが、いつも月の決まった日、決まった時間に行く。その日でないといけないわけではなく、時間帯も同じ。だから一ヶ月ぶりと言うこと。
 そこは場所。建物でもないし、人と会うわけでもないし、買い物をするわけでもない。住宅地にある老木。
 公園の端にあり、切り倒されないで残っている。ただ太いが短い。枯れ木ではないので時期が来れば青葉も出る。枝も伸びる。それに勢いがないので、多少伸びても邪魔にはならない。既に何度か切られているので、人の背丈の倍ほど。上や周囲には何もないので、枝が邪魔になるようなことはない。
 公園ができる前から生えていたようだ。神木にしてもいいほどだがそんな跡はない。当然しめ縄も巻かれた様子はないが、富田が見るようになってからの話なので、以前は神木扱いだった可能性もある。
 その近くには神社はない。かなり離れており、昔で言えば、田んぼの外れ、村の外れだった場所。今でも町の境目。隣村との境だったようだ。
 村も分割され、別々の町名になっているが、その木があるところは昔の村との境目あたりだろうか。
 富田は月に一度、その古木に立ち寄り、ベンチが空いていればそこに座る。丁度前方右に古木が見えるのでここが特等席。
 誰かが使っているときは古木の前で立っている。視線が問題で、何をしている人なのかと不審がられるので、古木を珍しそうに見ているふりをしている。しかし、その内面は別。
 別に古木信仰をしているわけではない。月に一度立ち止まるため。その古木と富田との関係は何もない。ここで何かあったとかもない。
 その古木までの道は古木を見ようとして出かけないと通らないような道筋。そのため道筋も月に一度通る場所と言うことになる。
 この一連の動作をここ何年か続けている。十年は経つだろう。富田の歳から考えると最近のことに近い。暇になったので、そんなことができるようになったと思われる。
 ここへ行くとき、その一ヶ月間のことを思い出す。体調の悪い時期に行ったとか、こういう心配事があったときだったとか。
 月に一度、一度も欠かさず行っている。行けるだけでも十分だろう。
 古木を見たり、その前のベンチで座りながら、古木に話しかけたりなどは当然しない。また願い事とか、心配事を話すようなこともしない。いいことが今月はあったとしても、それを報告などしない。
 そういうことも思うが、思っているだけ。田中自身に対し田中が報告を受ける程度。古木などなくてもできることだ。
 しかし形があったり、場があった方が分かりやすい。それだけのこと。
 その月の古木参りは寒いがよく晴れ、気持ちのいい日だった。そして富田は、この一ヶ月間、特に思うようなことはなかった。古木参り中の状態は良好だった。今はこうだという程度が確認できる。
 古木に限らず、たまに立ち寄るところでも、似たようなことができるだろう。だから古木でなくてもかまわない。
 
   了
 


2024年1月14日

 

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