小説 川崎サイト

 

禁じ手

 

 時代が進むとこれまでのことができなくなることがある。それまで一寸ずつ進めていたことが、何処かで止まってしまう。やろうと思えばできるのだが、それではまずいことがあるのだろう。そのものではなく、その周辺で。
 それで最先端で突っ走っていたものが大人しくなり、肝心要の所を避けて通るようになる。ということは実質的にできなくなっている。
 そういうことはしてはいけないという規約があるわけではない。
 それで大人しくなったのだが、肝心要を変えてきた。だから決して大人しくなったわけではない。違うところを攻めてきたのだ。
 攻め箇所は複数あるのだが、それほど大したことはない。今までの攻め口に比べて。
 しかし、その攻め口だけが攻め口ではなく、その一つに過ぎない。
 その後、別の所を攻めるようになり、そこはまだ伸びしろはあるのだが、ほとんどのことはやり尽くされている。そうなると、また違うアタック方法となる。同じ攻め口でも一寸違うような。
 肝心要の一番の攻め口も、そこばかりだと、またかとなる。そして飽きはしないものの、その攻め口にも限界があり、それ以上進めない。
 だから肝心要を変えることで目先を変えられるが、以前と比べると弱まった感じになる。
 そうなると、また別のやり方で、その弱さを生かしたものが出てくる。そのため強烈なインパクトはないのだが、強い切り口でなくても、弱い切り口や変形タイプでも、それなりに成立する。質は違うが目的にかなうような。
 ただ、それに同調できるかどうかは人にもより、以前のインパクトの強かったものでなければ駄目だという人にとっては不満だろう。
 しかし、インパクトの強かったものと同等の満足感が得られるのなら、それでもいいと思うようになるはずで、また時代、風潮がそうなっているのなら、以前には戻れないのだから、その畑を耕すしかない。
 だから時代的にできないと言って、そこでやめるのではなく、生き延びる道を模索する方がいいのだろう。
 インパクトは何処で発生するのかは分からない。偶然かもしれない。以前に感じていたインパクトも、それを現れるまでは、なかったようなものだ。
 だから別の所でインパクトをおぼたのだろう。さらにそれ以前となると、そこには全くインパクトなどなかったかもしれない。
 時代と共にインパクトも変わる。逆に同じインパクトばかりだと飽きてくる。
 以前の肝心要が違うものに切り替わったのか、時代的に、それ以上続けられないので、禁じ手にしたのだろうか。逆にそのことにより、新たな手が生まれればいい。
 
   了

 


2024年1月19日

 

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