小説 川崎サイト

 

家神の庭

 

 吉田家は旧家で、家の仕来りがある。あったと言うべきか。その儀式、時代劇を見ているようなもので、それをやっている家など少ないだろう。
 ただ非公開なので見せるものではないので、どれぐらい残っているのかは分からない。
 儀式めいたものだが、お盆に提灯を出すようなもの。お供え物をしたりとか。そういうのは旧家でなくてもやっている。ただし仏壇がないとできないが、それに代わるものがあればできるだろう。
 吉田家当主はまだ若い。家屋も古くはなく、今風に建て替えられている。ただ庭に普通の家では見かけないものがある。家神様だ。
 お稲荷さんやお地蔵さんや石饅頭ではない。その家の神様らしい。だから世界で一つしかない神様。これは先祖が勝手にしつらえたもので、由緒も何もない。そこは適当。そういう家神様があってもいいだろうという程度。そういうのが流行っていた時代があった。
 吉田家は世間一般の行事のようなものもするが、年々減り続けるが家神様は残っていた。その父親も、もうやめようか言っているほどで、実際にやめている。
 さすがに時代から外れすぎた余計ごとになり、毎朝家神様に水を供えるようなことはしなくなった。それはその先代からも、そんな感じで、吉田家ではそれが習慣だったので、それに従っていただけ。それも廃れた。
 だから、今の若い当主になると、もう放置状態。取り壊さないだけましな方。その建物は祠程度の小さなものだが、庭の良い位置にあり、邪魔。
 しかし、さすがに吉田家の家神様、屋敷神だけに、それはできない。ややこしいものだとは分かっているので、触らぬ神に祟りなしを決め込んでいる。
 しかし、たまに神頼みをしたくなるときがあり、それは神社に行くよりも、吉田家専用の吉田家だけの吉田家のための神様なので、こちらの方が効くはず。
 屋根瓦が痛んできて中が心配なので、修繕もやっているし、蔓草などが絡んでくることもあるので、一応抜いている。これは最低限のことだが、祠ではなく、庭掃除、庭の手入れと同レベルで、家神様を意識してのことではない。
 しかし、どう見ても庭の中心部にあり、その庭は家神様の境内のようなもの。
 吉田家の言い伝えでは中を開けてはいけないとなっている。
 しかし、見た人がおり、それは修理のため、中を点検したのだ。祠の中は石の三段のひな壇があるだけで、何も置いていなかったとか。その空間が家神様のおわす場所なので、何も置かないのは、家神様がいるので、置く必要がないとか。
 当然中を見た人、これは少し前の先祖だが、何もなかったとか。神様なので見えないので当然だと。
 しかし、妙な気に襲われ、気がおかしくなりかけた。
 今の当主もそれを聞いているので、余計なことはしないでそのままにしている。
 吉田家を守る神様なので、その神様が祟り、吉田家に災いをもたらすわけがないと考えているが、神様の性格にもよるだろう。
 先祖はこの神をどこから持ってきたのだろう。その言い伝えはない。適当な汎用神だったようだ。
 だから特定の神様ではないので、性格や由来なども分からない。だから家神一般としてあったのだろう。それが流行っていた時代、吉田家も買って祭った。
 だから吉田家に古くから伝わる氏神様、先祖神のようなものではない。そして吉田家のさらに先祖をたどった先にある氏神様は分からないとか。作らなかったのだろう。
 旧家だが、名家ではない。家紋もあるが、これも似たようなもの。
 吉田家の庭。そこは庭ではなく、聖域。これは庭としては珍しい。
 
   了


 


2024年1月29日

 

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