小説 川崎サイト

 

平常心

 

 危機に瀕したときとか、パニックになったとき、平常心を保つことが大事だとされている。
 しかし、とっさの場合、勝手に上手く避けたりする。平常心をやっている暇がないためだし、これは勝手に身体が動いているため。
 そういう状態ではなく、一寸いらだったり、一寸嫌な気分になったときは、気持ちの問題が大きいので、また思い方の問題もあるので、平常の、つまりいつもの気持ちに戻れと言うことだが、このいつもが結構上下があり左右もある。定位置がないような気がするが、それでもいいと師匠は語る。
「いつもの気持ちですか。それが平常心ですね」
「そうじゃ、その範囲内で十分なのじゃ」
「はい、そのように修行に励みます」
「心がける程度でいい。しかし忘れるがな。それでも落ち着こうとするじゃろ。これも勝手にそうなる。何時までも騒がしいと疲れてきて、素に戻る」
「私の平常心は何処にあるのでしょうか」
「いつもの状態でいい」
「でも嫌なことがあると嫌な気持ちになります。この気持ちになることは平常心ではないのでしょ」
「いつもそうなるのなら、それも平常の内。正常に反応しておるのでな。当たり前のように」
「でも、いらついたり、機嫌が悪い状態は平常心じゃないのでは」
「そこまではまだ平常の内」
「そこが分かりません。それは平常心ではないような気がしますが、いつも心に波が立たない状態が望ましいです」
「それは平常心ではない。それにそんなことはたまに起こるかもしれんが、そこへ持って行けるものではない。それだけをやっておっても難しい。ましてや普通に暮らしてる最中など、そんなことはできん」
「じゃ、波風が立つのもいいのですね」
「それも平常、いつもの状態の内」
「じゃ、平常心なんてないじゃありませんか」
「そうじゃなあ。ないなあ」
「頼りないですねえ、師匠」
「まあ、平常心など曖昧なもの。それでよろしい」
「じゃ、いつも立てている波風でいいのですね。それも平常心の内なら」
「いつものお前様のような状態でよろしい」
「じゃ、何も修行になりませんが」
「そうじゃなあ」
「頼りないですねえ、師匠。もう少し蘊蓄のあるご指導を」
「それをすると疲れる。わしにもできんことを弟子に言えぬのでな」
「平常心にも幅があることは分かりました。いつも揺れていますが、それでよろしいのですね」
「同じ揺れ方でも、ちと違うじゃろ。心がけていると、それが分かる。いい案配のところがあるので、そこが平常心そのものじゃが、これは曖昧なのでな」
「平常心も代わるのですね」
「おお、それそれ、わしが言おうとしていたことじゃ」
「先に言ってしまいました」
「だから、教えるようなことはそれほどない。少し心がけておるだけでいいのじゃ」
「しかし嫌なことがあると平常ではいられません」
「そんなものじゃ」
「じゃ、解決しないじゃないですか」
「だから一寸思い出せばいい。平常心をな。すると少しは離れる。一寸引いてみるだけでいい。これができれば、凄いものじゃ。わしもそこまで行っておらん暴れ馬なのでな。偉そうなことは言えん」
「でも師匠」
「なんじゃ」
「それで師匠をやっていけるのですか」
「弟子はみんな逃げた。お前様も去ればいい」
「いや、もう少し居ます」
「そうか、平常心を忘れたな」
「あ、はい」
 
   了

 


2024年2月3日

 

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