傘道
温かい雨が降っている。冬は終わったのだろうか。
下柿は傘を差す。するとすぐに止む。しばらくすると、また降る。そのたびに傘のヒモを回し、留めないといけない。最後はパチンとボタンの音がする。
それがなまっているときは角度が悪いのだろう。またテープ状のヒモを回していると、間違ってあっていないときがある。これはヒモをねじれば良いのだが、失敗したことには違いない。詰めが甘かったのだが、強引に詰めた感じ。
物事は丁寧にやる方が気持ちがいい。凄い手柄を立てたとか、凄い成果を上げたわけではないが、気持ちの良さは得られる。
面倒なことをしているときもそうだ。いらだってやるよりも、のんびりとやった方がいい。時間がかかっても、その間の気分が違う。
下柿はそう心がけているのだが、無視することもある。ここは丁寧に、ということなど気付かないままやってしまうためだ。車と接触しそうになったとき、丁寧にゆっくりとは避けないだろう。身体が先に動いている。
また、一息置けるタイミングがあっても、そのスイッチが入らないときもある。ただの心がけなので、余裕のあるときにしかできない。それでも面倒なときもある。急いでいるときなど。
今朝の雨はどちらのタイミングだろうか。降ったりやんだりの繰り返し。それならずっと傘を差しっぱなしの方がいい。
しかし降っていないのに傘を差すのは不細工。それに差していない人も多い。だが、降っていないのに差している人もいる。開けたり閉じたりが面道なのかもしれない。そしてどうせすぐにまた降り出す。
下柿は丁寧路線をそこでやってみた。差すときはいいが。閉じたあとがテープ問題で面倒。それに傘に手を触れないといけない。小雨でも濡れている。
だが、そこで水滴の温かさを感じた。温水ではない。指や手のひらが冷たくない。そのとき、冬は終わったと感じた。
これはまだ速い判断だが、このあとまた寒い日が来たとしても、手は覚えている。そして記憶は当分あるだろう。十年は持たないが。
だが、温かい雨の記憶は消えるが、極端に手が冷たかった時は長く覚えている。よほど印象に残ったのだろう。
どちらにしても、その日、下柿は傘で丁寧ごっこをした。これは極めることができるかもしれない。刀の抜き差しや居合い切りの作法のように。武士が刀を扱うように、傘を扱う。
そういう意味もあるが、丁寧にやっているときは気持ちも落ち着くようだ。これを得るだけでも十分だろう。収穫だ。
そして、また雨が降り出した。下柿はスッと刀を抜いた。いや、開けた。
了
2024年2月18日