呪詛返し
内気な田中は復讐手帳や怨念手帳などを付けている。これは手帳ぐらいの大きさで、非常に小さな文字で恨み辛みを書き連ねている。そのことにより気が晴れるようだ。書くことで文字という具体的なものとなるため。
これが思っているだけでは内に溜まってしまいそうになるので、それを文字で吐き出す。
しかし、それでも晴らせない恨み、これはほとんど田中の問題で、そう感じているだけの話だが、田中にとりリアルすぎるほどリアルなこと。
その場合、田中は呪詛を行う。これは藁人形の小さなもので、釘も短い。そういうセットものが百均でも売ってそうだが。
復讐手帳で収まらないものは怨念手帳に書き連ねる。それでも収まらない場合、藁人形へと走る。
これは滅多にないが、よほど嫌な相手。
ただ呪詛は呪詛返しを食らう。だから共倒れに近い。田中自身にも災いが来る。だからそれを覚悟で臨まないといけない。
だが、何とか呪詛返しを受けない方法はないものかと調べた。しかし、そんなものなど表には出ないだろう。
どちらかというと呪詛に対する耐性。呪詛を受けたときに跳ね返すとか。
これを身につけておけば、一方的に安心して呪詛をかけ続けられる。戻り、返りはない。これなら安全だ。しかしそんな方法は見つからない。そこで田中は方法を模索した。学校の勉強はしたことはないが、こういう勉強なら熱心。
呪詛は心の中でやる。別に虫を飛ばすわけではなく、田中の中だけのこと。そういう呪詛をやると、すぐに跳ね返りが来る。それは意識できる。これが呪詛返しだろう。返されたのだ。
これは心の中に鏡があり、呪詛がその鏡に映り、まるで跳ね返ってきたかのように感じる。それで、ミラーなしを考案した。ミラーレス式呪詛。
しかし気持ちの中の問題なので、仕掛けを作るわけではない。本物の鏡の前で呪詛をすると怖いが、そういう具体的な道具はない。
ミラー外しの術。それは藁人形に釘を打つとき、感情を入れないことだった。それなら返りもない。ただ、肝心の呪詛が効かないような気がする。ただ。こういうものは効いたか効いていないのかを確かめにくい。
しかし、その方法で念じないでやっても、呪詛が通じているように感じられた。そして呪詛返しはなく、気分も穏やか。
しかし、藁人形を使っての呪詛も、実際にはやっていないのと同じだろう。
だが、田中はそれに気付かない。しかし、呪詛した気にはなり、そのあとスッキリする。
そして呪詛した相手と接したとき、少しだけだがしてやった感があり、痛快だ。
了
2024年3月5日