小説 川崎サイト

 

草庵の高僧

 

 既に寺僧として引退したような高僧が草庵入りしていた。野に下り野僧となったので、野にふさわしい住処として、その草庵にいる。
 草で編んだ家ではない。しかし、野に下ったと言っても野原に住処があるわけではなく、村の外れ程度。
 その村は結構大きく、町家などもある。この地方では賑やかな村。
 宿場町でもないし、何かが集まっている村ではなく、田んぼが続く普通の村。活気があるのはその高僧がいるからではない。
 近郊の村々の丁度間にあり、この村がハブのようになっている。それだけのことだ。
 高僧もそれを知った上で庵を建てた。実際には最初からある建物で、田んぼの中の土蔵のようなもの。持ち主は高僧を歓迎し、改築し、住めるようにした。
 何せ名僧だと言われている人なので。
 ただ、学僧と言ってもよく、大学教授のようなものだ。だからお経や座禅三昧の僧ではない。
 村に余裕があるので、そんな学僧も住みやすいのだろう。それ以外にもいろいろな人が住んでいる。
 そのためか、人の出入りが結構あり、近郊の村から買い物に来る人も多い、だから市が立つし、商家も軒を連ね、宿屋もある。
 そこへ若き僧侶が尋ねてきた。草庵の高僧から見ると若僧。「この若僧めい」という意味ではない。まだ若いお坊さん。しかし寺の勤めもしないで、そんなところに遊びに来ているのだから、一寸変わった若者だ。
「悟りへの道を教えてください」
「わしは悟っておらんので、よう分からん」
「私は悟った人を見たいと思い、尋ね歩いております。寺の勤めもあるのに、勝手なことをしていますが、住職は父親なので、そこは何とかなるのです。嫌々ながら坊主になったのですから」
「いたかな」
「いません」
「よう探したか」
「噂に聞く限り」
「わしも悟っておらんから、相手を間違えたな」
「一応、念のため」
「そういうことを言ってくる御仁が最近多い。悟りが流行っておるのかのう」
「では、悟りとは何だと思いますか。それだけでもお教えください」
「よう言われておることで、書物にもある」
「どんな内容でしょうか」
「人は既に悟っておると言うことらしい」
「聞いたような」
「だから、悟っておるのに、さらに悟ろうとするのは不自然」
「そういう説ですか」
「そうじゃな」
「でもいろいろと波風が心に中で立ち、悟れば静まると聞きましたが」
「波風あって正常。それが悟りそのもの」
「ああ、でもそれじゃ何もしていませんし、気づきもありません。そのままですから」
「それら気持ちのざわめき、感情の波立ち。これがなくなればどうなる」
「面白くありませんねえ」
「悲しくもないし、楽しくもない。それでいいのかな」
「一寸不満です」
「それにそんな状態は人である限りできんように思える」
「私のやっていることは悟り遊びでしょうか」
「ああ、遊びでやるならよろしい」
「その程度のものですか」
「だから最初から悟っておるのに、それ以上悟る必要はあるまい」
「いろいろな煩悩とかがあってもですか」
「あるだけいいじゃろ」
「はあ」
 若僧は納得できないので、立ち去った。
 高僧はちと冗談が過ぎたと反省した。
 
   了



2024年3月14日

 

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