小説 川崎サイト

 

目的達成せず

 

 目的は達成できないがその手前まで、あと一歩のところまで行けることを上田は確認した。
 この確認は、残念だったが何とかあと一工夫とかではなく、そこまで行ければもうそれだけで十分ではないかという確認。
 不満だが、これは使えると思った。失敗は失敗のもとで、失敗を繰り返すパターンだが、本当は失敗は成功のもと。しかし、達せなくても悪い感じではない。この感覚を上田は得た。
 いつも同じところで失敗し、あと一歩、あと一手が出ない。これは頑張れば解決するのだが、そうまでして必死でやりたくはないし、それで達成したとしても次回もあのしんどい目をまたやるのかと思うと、次回がしんどくなる。やる気が失せるわけではないが、しんどいことをしに行くようなもの。
 その途中まではしんどくない。山で言えば九合目あたり、最後の詰めのようなところがしんどい。だが手前までならそれほど苦労はいらない。逆に楽しいほど。だからその楽しいところだけを味わえば良いのではないかと上田は考えた。
 それに高い山はそこだけではない。いろいろな山がある。それらにチェレンジしやすくなる。なぜなら登り切らないため。登頂失敗で、登頂成功ではない。目的を果たしていない。
 しかしその手前までなら無理しなくても登れる。この方がいろいろな山に挑めるので楽しいではないか。というような発想だ。これは負け惜しみのようなもの。
 しかし、実際には少し無理をすれば登り切れるのだ。だから余裕で降りるようなもの。そこで終えるようなもの。
 これでもそれなりの達成感があることに気付いた。これでいいのではないかと。
 ただ、無理だろうと思っている山に、楽なままサッと登ってしまえる場合もある。それは偶然だろう。これはこれで本物の達成感、目的を果たして大成功と言うことになるのだが、途中でやめたときとの差はそれほどなかったりする。
 最初の頃は失敗すると悔やまれ、残念さ、無念さが残ったが、それを繰り返すうちに、どうせ失敗するだろうと気楽なった。頑張れば達成できる率が増えるが、いくら頑張っても無理なときはよりダメージが来る。
 これは失敗の楽しさを得ようとしているわけではない。成功の手前ぐらいにとどめた方が良い場合もある。それは無理をしていないと言うことだろうか。
 だから無理なく目的を達成できればそれに超したことはない。ただ、その目的、似た達成感なら手前までいいという目的に変えれば達成したことになる。屁理屈だ。
 これは敷居を下げることで、上田自身が納得すれば済む話。
 そのおかげでプレッシャーが減り、気楽さが出てきた。こちらの方が良いような気さえしてくる。
 決して本来の目的を捨てたわけではなく、そのつもりで挑むが半ばで降りてもいいし、頂上近くまで行き、あと一歩のところでもいい。登り切れるかどうかよりも、そういうことをしていることだけでもいいのだろう。
 自己満足の線は、ただの線引きだったりする。
 
   了


2024年3月17日

 

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