小説 川崎サイト

 

闇に立つ

川崎ゆきお



 闇の中で佇む男がいる。
 ただただ立ち尽くしている。
 繁華街の裏は暗いとはいえ、暗闇ではない。
 男が立っている場所は、照明のない闇ではない。そこそこ明るい。
 闇なのは、その男なのだ。
 男は真っ黒なビジネススーツで立っている。
 鞄はない。手ぶらで、その手をズボンのポケットにしまっている。
 たまに行き交う人は、男の存在を認識するが、それ以上注意を払わない。
 人が立っていることもあるだろう程度だ。
 男が何を目的で立ち止まっているのかにも興味が無さそうだ。
 繁華街の裏道は抜けるだけの通路で、通行人のほとんどが複数で移動していた。
 仲間たちとの会話で夢中のようで、男が視野に入っても、すぐに流してしまうようだ。
 自分や自分たちの目的で一杯で、突っ立っている男の目的などかまってられないのだろう。
 男はたまにタバコを取り出す。
 酔いを覚ますため風に吹かれているようにも見える。
 また、禁煙となっている室内では吸えないので、外に吸いにきているのかもしれない。
 男は二時間以上そこにいる。それを観察する人間がいないため、どの程度立っているのかは分からない。
 男は立っているだけで、特に目的はないようだ。
 やがて終電が近くなり、繁華街の客も引き出す。
 もう、男を目撃する人間もなくなる。
 そこを潮時とばかり、男はやっと動き出す。
 向かうのは駅の改札だ。
 そして、終電に乗り込む人々と合流する。
 終電は満員で、男はドアにぴたりと体を寄せ付け、都心の夜景を見ている。
 なぜ繁華街で数時間も立ち尽くしていたのかは謎だ。
 もし、男に聞けば、こう答えるかもしれない。
「存在を消したかった」と。
 確かに妙な回答だ。あまり人に言えない行動だろう。
 男は少年時代に、そんな光景を見たのかもしれない。その時、立っていた大人は、何等かの意味があったのかもしれないが、意味もなく立っていた可能性もある。
 その可能性の一つを体験したかったのだろうか。
 今夜それを体験した。男は何か得るものがあったようだ。
 
   了



2007年01月16日

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