語り部
宿場で泊まるところがないのだが、相部屋になる。大部屋で雑魚寝もできるのだが村田は一人相手の方が楽なので、少し高いが、その宿屋に入った。
その部屋にいたのは老人で、この人なら良さそうだと感じたが、一対一なので、相手を選べない。別に囲碁の相手になってもらうわけではないが、やや窮屈。
これが大部屋なら他の者を全て無視できるだろう。どちらがよかったのか、村田は分からない。ただ、この老人、いい感じの人なので、それで助かった。
「雨なのでな、この宿場で泊まる人が多いようです。次の宿場までもう少しなので、ここは素通りするのですが、この雨で夕方を迎えるのは難儀、だからここで泊まる人が多くなった。そういうわけです」
「よろしくお願いします」村田はまずは挨拶から始めた。その前に老人が宿屋事情を既に語り始めていたのだが。
「わしは語り部でな。あなたは」
と問うて、じきに「いや、聞きますまい」と取り消した。
村田に聞く耳があるのかどうかを知りたいのだろうか。あまりしゃべりたくない人なら、挨拶だけで済まそうと老人は思ったようだ」
「さるお屋敷の使い走りのような者です」
「お侍様ですか」
「私はそうではありません」
老人はそれで納得したようだ。身元ぐらい知りたいと思ったのだ。まさか寝首をかかれるわけではないが。
「語り部なのですか」村田から聞いてきた。これは会話になりそうだ。
「口だけで、鳴り物はありません」
「芸人ですか」
「いえ、お話にするのが商売です」
「戯作家」
「芝居ではありません」
「何でしょう」
「その家に伝わる話をまとめ上げたりします」
「はあ」
「それを一巻物として記します。私が語ればこうなるというのを文字で残すのです」
「そんな商売があるのですね」
「まあ、それでお代をいただきますので、商売と言えば商売」
「じゃ、語り部じゃなく、その中身を作る稼業なのですね」
「ひとつの話としてまとまるようにね。しかも分かりやすく」
「語りって何でしょう」
「物語ですなあ」
「はい」
「物は物のままでは物のまま、それに語りが入るのが物語り。これを騙りとも言いますなあ」
「ええ、騙すような」
「色を付けますし、関係も少し変えます。だからそのものをそのものとして伝えてはおらんのですよ」
「はあ」
「物は勝手にペラペラと話し出さないですからね。そのものに変わって私がしゃべるのですよ。まあ、実際には記するのですがね」
「家伝のようなものですか」
「そうです。口伝ではなく、書にして残します」
「よく分かりました。そういう生業もあることを」
「おっと、しゃべりすぎたようです」
「もう少し聞きたいです」
「そうですか、じゃ、酒を用意させましょう」
外は雨。この二人、長く話し込んだようだ。さすがに相手は語り部。話が上手い。
了
2024年3月31日