小説 川崎サイト

 

感覚

 

 田中は狩りをすることの方が楽しくなり、食べきれないほどになる。しかしその狩り、鳥や獣でなく保存が利く。
 いくら狩っても置き場に困ることがないほど小さい。だからいくら狩っても大丈夫なのだが、それを整理するのが大変。何処に何を置いたのか分かりにくい。ただ狩った順に並んでいるので、奥の方にあるのは以前狩ったもの。もう何を狩ったのかは忘れているのもある。
 それで奥の方を調べていくと、興味深いものが結構ある。それこそ食べないまま残しているのだが、実際には今は食べたくないのだろう。もう少し経ってからと。それが多くなり、食べる順番が大変。
 そのうち食べきってしまうのだから、一生そのまま放置と言うことはない。だから順番なのだ。大事なのは。
 そして、過去に狩ったものでほとんど食べていないものがある場合、それに近いものは狩らないようになる。
 そうなってくると、以前は気に入って狩ったのだが、放置ではなく捨ててしまうこともある。今とは好みが違いすぎるためだろう。
 また、似たようなものはその気になればいくらでも狩れる。だから捨ててもいい。おそらくそのタイプは一生狩らないかもしれないが。
 これを繰り返すうちに田中は自分の好みが分かってきたりする。好ましいと思えるものでも、そうではなかったりする。
 そして妙に引きつけられるものがあり、ついつい狩ってしまい、それを大事に残している。当然おいしいのでよく食べる。
 田中の好き嫌いが徐々に分かってくる。これは実体験。
 しかし、それが何かというのはまだはっきりとはしない。何らかの共通するものが含有されているためか、底に流れるものが一緒とか。
 そして食べ飽きたものもあり、もうそのタイプは滅多に狩らない。
 しかし、同じようタイプでも、流れというのがある。全体の流れと関係するようで、それ単独ではなく、意味や繋がりを感じるためだろう。
 まあ、意味は感覚的なことではないが、意味を見出すのは感覚。結びつけたりするのだが、これは理屈に先立つ。
 田中はそういう狩りをしていると、底に流れている流儀のようなものは、狩り以外でも通底しているのではないかと深読みした。
 つまり、同じ感覚が連動している。他のことでも狩りの時の感覚を応用したり、また逆に狩りの時に他のことでの影響を使っているような。だから出所は同じだったりする。
 ただ、その感覚も変化する。感覚が変われば意味も変わってくる。
 つまりどう感じたのかがパロメーター。羅針盤。しかし、この感じというのはいい加減なもので、勘違いも多いが、何と勘違いしたのかを探ることもできる。
 というようなことを田中は頭で考えてやっているわけではなく、自然とそんなカラクリを知る程度。あとで分かることだが、分からなくても問題はない。
 感覚にも鋭い感覚と鈍い感覚がある。鈍い方が間違いは少ない。勘違いが。
 しかし違えることも悪くはない。
 
   了

 


2024年4月28日

 

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