小説 川崎サイト

 

落ち着く

 

 禅僧だが、今は退き、縁者の商家にいる。坊主から商人に衣替えしたわけではないが、僧衣は着ていない。百姓家の年取った親父に見えるが、顔の割りにはまだ若い。
 禅寺では高僧に入った。それがある日、スッと辞めたのだ。上人になれる人が商人になったことになるが、商売をしているわけではない。母方の兄弟が店の主。その人はもう亡くなったので、その息子があとを継いでいる。
 この元禅僧、ただの居候だが、客人扱い。遊んで暮らしているようなものだが、禅寺にいた頃も似たようなもの。
 なぜそんな心境になったのかは本人しか分からない。ただ絵が好きなようで、本当は絵師になりたかった。
 仏画などではなく、草花や鶏などを書いている。また似顔絵のようなものも書き、これが評判になる。
 だから禅僧の部屋はアトリエかスタジオのようになってしまったため、別練を建ててもらい、そこで暮らしている。商売も上手く行っているのだろう。禅僧が引っ越してきてから蔵が一つ増えている。
 ある日、似顔絵を描いてもらっている商人が「落ち着きとは何でしょうか」と聞いてきた。商人は元禅僧のことを知っており、直接教えを請うたのだろう。これは似顔絵代で買ったような質問券。
「己の真ん中にいることかな」
「真ん中」
「どちら側にも出ておらん」
「何が」
「気持ちがじゃ」
「ああ、前のめりになっているとき、確かにあります」
「均衡が取れておる時は落ち着けます」
「それは座禅で得たことですか」
「あれは不自然なことをやっておる。その気満々で気持ちも前に出すぎたり、後退しすぎたりでな。ずっと座っておれば、ぐらつくもの」
「しかし、心を静めるには座ってじっとしているのが良いのではありませんか」
「そんなことをせんでもいい」
「それで禅寺を飛び出したのですか」
「それが分かってしまったのでな。いても仕方あるまい」
「はあ、そういうものですか」
「この絵筆、その扱い方、使い方にも作法がある。それに集中するもよし、他のことで気を取られながら走らせるもよし。何も絵筆に限らず、動作の一つ一つがそれじゃ」
「それも禅なのではありませんか。聞いたことがあります」
「ただ、それを修行だと思いながらでは不自然。座禅と同じになる。そこなのじゃよ」
「あの、筆が止まっていますが」
「それはいけない。前のめりになり、真ん中を忘れていました。こういう話をすると落ち着かぬ。だから坊主を辞めた。わざとらしいのでな」
「また、筆が止まりましたが」
「まあ、そういう話はよしましょう。絵に集中する」
「はい、よろしくお願いします」
 元禅僧の顔に落ち着きが戻った。
 
   了


2024年4月30日

 

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