小説 川崎サイト

 

捨てる日

 

「捨てる日も必要ですねえ」
「日を捨てる?」
「そうしたくはないのですが、たまにはいいでしょ」
「それで必要だと」
「必要だと思わなければ、何とも残念でね」
「日を捨てるとはどういう意味でしょうか。ゴミ箱やドブに捨てるわけではないでしょ」
「すると、ゴミ箱は日でいっぱい。ドブも捨てられた日でいっぱい。そのうち流れ出すでしょう。ドブにも上流と下流がありましてね。上は浅く、下は深くなっています。そうしないと流れない。知ってました?」
「よく見ていませんが。それよりも日を捨てるとは何でしょう」
「これと言うことがないので、そのまま通過するだけの日です。少しは有意義なことがあれば、いいのですが、それもない。平凡な一日になりそうなので、今日はもう何もしなくてもいいかという感じです。何かしたいのですがね。これというのがない。以前からやっていたことを地道に続ける程度です。ただし、日課はやりますがね。ここまでは捨てない」
「じゃ、今日は良いことがないので、もういいかということですね」
「良いことがなくても日は過ぎ去ります。淡々とね」
「それじゃ、かえって捨てた日の方が穏やかでいいのではないのですか」
「それも捨てたもんじゃないのだがね。やはり一寸した特徴が欲しい。何か一寸違うことが在ったとか、変化の兆しがあったとか、その程度でもいい」
「要するに刺激的な事でしょうか」
「そうですねえ。平たくいえば」
「それは、作れるんじゃないのですか」
「いやいや、その気も起こらないので、捨てるのです。今日はもういいかと。休憩だと」
「その休憩、たまには必要なのでしょ」
「必要に迫られてではないのですがね。後日のことを考えれば、静かにしておいた方が、いろいろと温存できます」
「休養日のことですか。一日を捨てるとは」
「そんな厳密な事じゃありません。つい言ってみただけですよ。これは独り言でよくつぶやきます。やはり口に出すといけないようで、誤解を招く」

「でも、いいですねえ。一日を捨てる。僕は気に入りました。今日は捨ててもいいという気持ち、分かるような気がしますので」
「君はずっと捨てっぱなしのようなので、この言葉必要ではないと思いますよ」
「決して捨て鉢になっていません」
「何も植えていない鉢か」
「鉢を捨てたわけじゃありません。放置でもありません。気が向けば何かを植えます」
「だから捨てていないと」
「はい」
「しかし、世を捨てたような暮らしぶりだと聞いたが」
「捨てたのなら、ここには参りません」
「そうか」
「はい」
「わしは今日だけは一日捨てる程度じゃが、君は連日捨てておる」
「だから、捨ててはいません」
「聞き捨てならん。教えてくれ、その捨て身の構えを」
「先生から習いました」
「わしが教えただと」
「はい」
「忘れてしまった」
「拾ってきてください」
「ドブに捨てたので、うんと下流にあるはず」
「先生が捨てることの本家ですよ。それなのに一日捨てるだけで、何をとやかくおっしゃるのか、とんと合点がいきません」
「だから、忘れたのじゃ」
「でも、これで今日は有意義になったでしょ」
「そうかなあ」
 
   了

 


2024年5月9日

 

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