小説 川崎サイト

 

早い目遅い目

 

 おかしい。今日はいつもよりも早い。何か省略し、忘れているのかもしれない。富田は時計をもう一度確認した。
 いつもと同じスケジュールをこなしている。しかも今朝は遅い目にスタートしたのに、いつもよりも早いのだ。
 早く終わっていることになる。ではどの箇所が早かったのか。それを思い出しても、特に急いだ記憶はない。つい先ほどのことなので、忘れるわけがない。
 逆に早い目のスタートの日なのに、遅くなってしまうことがある。何処で時間を食ったのか、または他のことが加わったのかと思い出しても、それもない。
 この両パターンとも不思議だ。
 しかし、早く進んでいる日は、一つ一つを早く済ませているのだろう。急いでいるわけではなく、いつも通りでも。
 しかし、一つ一つのスケジュールを時計で計って確認しながらやっているわけではなく、大きな区切りがつき、場所も大きく変わったとき、チラッと確認する。それはいつも同じ場所。しかし同じ時間にはならない。
 早い目のスタートなのに時間を食ってしまうのは、集中しすぎて時の経つのも忘れるため、長引いていることに気付かないのかもしれない。しかし、それも、一寸手間取っているとか、これは時間がかかっているなあと、それぐらいは分かる。いくら集中していても。
 では何処で時間が違うのか。一つ分かっている事、思い当たることがある。それは遅い目にスタートしたときの方が早いということ。そして早い目にスタートしたときは遅くなっていること。逆なので、目立つため覚えている。
 だが、遅い目のスタートなら、いつものチェック場所では遅い目になっているはず。それなら分かる。

 すると、遅い目にスタートした方が効率がいいのかもしれない。それは逆だと思うのだが、その傾向が強い。
 やはり富田が気付いていないところで、時間を食ったり、さっさとやったりしているのだろう。急ぐ気はなくても、さっさとやる。時間があるときはのんびりする気はなくても、一寸スロー気味。または余計なことも一寸加えたりする。
 だが、遅い目の時、これをやるともっと遅くなると思えることを加えることがある。その場合もまだ早かったりするので、不思議だ。
 これは気のせいではなく、時計の針が具体的に示しているので、事実だろう。時間の概念ではなく時計の概念上。世の中はそれに従っている。
 だから富田が気付かず、意識していないところで伸び縮みがあるようだ。
 ボーとしていると、かなり時間が経っていたとか。意外と短時間だったとか、そのボーの状態はしばしの間時計を気にしていない。ボーとなので。
 まあ、それで支障が出るわけではないが、遅いスタートの日ほど早いというのは得した気分になる。
 
   了

 


2024年5月14日

 

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