小説 川崎サイト

 

本来

 

「もう他にないものか」
 城島はまた物色を始めた。探し出すのが楽しいようで、目的が探すことになっている。探し出したものをデータ化する。それで城島のものになったわけではないが。
 それで集めるだけ集めたので、集めるものが減った。これぞというものは既に知っており、そして集めた。
 それで集めるものが減ったのだが、まだまだ城島の知らないものが世の中にはある。ただ、興味がなければないのと同じ。そういうのは集めようとはしない。集めても仕方がないためだ。城島にとり値打ちがないので。
 ただ、今まで集めたものの中には、もう興味外のものも出てきている。なぜそんなものを集めたのかと不思議なほど。きっとその当時は値打ちがあったのだろう。
 そういうのをいくら見直しても、やはり値はつかない。だからそれらは除外。
 城島は集めたものを見ていると、好みのようなものがあり、その傾向や、その流れのようなものが分かるようになる。
 興味の変移だ。どのあたりに行くつくのかが分かっていくが、それは自然に決まる。ほとんど成り行きで。
 それで興味のあるものはほとんど網羅したつもりでいた。大まかにはそうだが、好ましいものは多い方がいい。下手に増やすと水増しになるので、それも危険。
 城島が望んでいる状態は、新たな展開だ。それが少しでも見えてくれば新天地が開ける。ただ、それはずっとそこにあるのだが、城島の興味が行かなかっただけ。
 また誤解したり、フィルター越しに見ていて気付かなかったのかもしれない。
 つまり、新たな展開とは見出すこと、気付くことから始まるのではないか。しかし、これは強引すぎる。無理にそんなことをやっているようなもの。
 発想の転換も考えたこともあるが、これも無理攻めのようなもので、強引。
 しかし世の中は狭いようで広く、広いようでも狭い。ただ見落としているものがまだまだ多いような気がするので、探す楽しさは残っている。
 ほとんど従来と同じもので、ありふれたものだが、一寸違うタイプもある。ほぼ同じだが、微妙に違う。その違うところがツボで、ここをこじ開けていけば、新天地に出られるような気がする。
 しかし、それほど簡単ではなく、既に新天地のものも知っているのだ。
 しかし、他に何かあるのではないかという期待は捨てないでいる。そしてたまに見つかる。そこから先の展開はない場合も多いが。
 そういう探索は、外のものではなく、内なる探索なのかもしれない。内にあるのが根で、外で花開いている。
 外を見ながら、内を見ているとも言える。
 だから内が変われば外も変わるのは理屈としてはあっているかもしれない。ただ、内側の気持ちというのは具体性がなかったりする。ただの感じだったり。
 しかし、これもよくある話だ。それよりも、偶発的な場で接することが多い。それはなぜか懐かしい気持ちになるような感じで、これを城島にとっての本来というのだろう。
 
   了


2024年5月16日

 

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