小説 川崎サイト

 

失敗に成功

 

 作田は昨日も失敗した。しかし難題を二つ続けて果たした。これはチャレンジしただけで、失敗に終わったのだが、そのことに関し、言い訳ではないが、それだけの理由があった。
 その理由で失敗したが、チャレンジしたことは大きい。これは成果だ。しかも二つも果たしたのだ。
 実際には失敗に終わっているが、それを差し置いても、難題に挑んだだけでもいいだろう。
 失敗なので満足は得ていない。しかも二つ続けての失敗なのでダメージがあるはず。二つのうち、一つは何とかなったかもしれない。しかし、理由を付けるわけではないが、何か足りなさがあり、難題のわりには大したことはなかった。あまり良いものでは。これは良いはずのものだが、それほどでもなかったと言うことか。
 作田は失敗だと途中で分かったとき、その失敗を続けようとした。最後まで。
 もう成功の可能性は低いことは分かっており、作田もその気がなかった。
 ただ、万が一もあるので、一応続けた。それで二つとも最後もまでやり終えた。負けいくさだったが、マラソンで完走したレベル。完走が目的なら大成功だろう。
 失敗した理由はいろいろ考えられる。しかし、それを反省したり検討しても仕方がない。もう終わったことなので。
 作田には作戦があった。それは失敗すると最初から思うことだ。これは逆かもしれない。成功イメージではなく失敗イメージを抱いて望む。
 そしてやはり失敗する。すると、やはりそうだ。やはり合っていた。間違っていなかったと、予想は果たせる。あたる。
 しかも大当たりで見事な失敗。惜しいところまで進めても、どうせ最後は失敗すると、せっかくいい感じで流れていても水を差すようなことを考える。実際にそれで失敗の水に乗ってしまう。
 作田が考えているのは、失敗すると思っていてもできるものはできる。なるものはなると言うこと。気合いを入れても入れなくても成し遂げられる。
 気合いを入れると頑張る必要があり、そのため成功するには頑張らないといけないという条件がつく。これが面倒。
 成功のイメージ、成し遂げたときや、成す前や成している途中を上手く行っているように思い浮かべながらでは失敗したときのショックがきつい。
 そのあたりの作田の発想。実は失敗しても成功してもどちらもいいというレベルになる。成功すればいい感じになるが、一瞬かしばらくの間だろう。いつまでもそれを味わい続けられないで、次へ行くだろう。
 失敗すると、再挑戦できる。より難題に向かうのではないので、やりやすい。それに何度も挑戦して失敗していると、分かりやすい。確かに難題だが、慣れた難題なので、くみしやすい。
 いずれにしてもチャレンジがいいのだろう。勝った方がいいが、結果にはそれほどこだわらない。勝ったときの気持ちよさは負けたときにはないが、いつか勝てば味わえる。
 しかし作田は普段は難題ではなく、スッとできることをしている。これはそれほど見返りはない。勝ち負けもほとんどない。
 それで、たまに難題に挑む。こちらはやりがいがあるし、本来の目的は、この難題の中にある。だから難題がメイン。
 しかし、それだけでは疲れるので、適当なものをやっている。楽にこなせるようなものを。ただ、それでは頼りない。物足りない。
 足ろうとすると難題に挑むしかない。これは挑みたいので好き好んでやっている。
 そういうタイプは、成功と失敗がある。成功があるのなら失敗も同時についてくる。
 そして失敗を恐れるあまり、作田は失敗することを目標にするというひねくれたことを考えたのだ。これは緩和策だろう。
 
   了


2024年5月29日

 

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