小説 川崎サイト

 

ハモへ向かう

 

 暑いのでさっさと仕事を済ませ、買っていたハモの天麩羅を食べたいと下田は思った。
 これは深い思案の元で得た結論ではない。その逆だろう。短絡的。しかし果たしてそうだろうか。ハモの天麩羅を用意していたのは計画的。
 しかし、なぜハモなのか。それになぜ天麩羅なのか。ここには思案はなかったと言える。店屋でハモの天麩羅を見たので、買ったのだ。旬だし。ハモは別の食べ方もできる。軽くゆがき、辛子で食べるとか。こちらの方が夏向き。
 だからそこにはこだわりがなかったのだろう。ハモならもうそれでいいと。それに天麩羅の方が衣を着るため、大きく見える。ただ、ハモそのものを視覚的に見る機会は少ない。断面程度か。ハモの身は白い。その白さを知らないまま食べる。ただ、下田にはそこまでのこだわりはない。もし刺身コーナーでハモを見つけておれば、そっちを買っただろう。その方が涼しげ。
 しかし惣菜売り場の奥に鮮魚コーナーがある。ハモの天麩羅を買ったので、もう刺身コーナーへは行かない。
 とりあえずハモが食べられる。下田にとり初物。これは一寸した刺激。
 そのハモの天麩羅、容器に小袋がついいる。青塩らしい。青い塩。これもいい。買うときは知らなかったが、冷蔵庫に入れる前に確認した。
 ただ、冷蔵庫には入れなかった。そのつもりだったが、やめた。なぜならまだ温かみがあったため。それに冷やすと硬くなることを恐れた。ただ腐りやすくなることも同時に恐れた。時間的にはまだまだいけるだろう。翌日にしてもいいほど。
 こういう楽しみがあるので、早く仕事を終えたかった。たかがハモ。高いものではない。
 そのとき、うな重も見た。ハモを手にしたあとなので、ウナギも欲しかったが、そこは欲を捨てた。ハモとウナギ、両方は贅沢。しかも、うな重の方が遙かに高い。そのわりにはウナギは薄く、僅かしか乗っていない。
 やはりここはハモの勝ち。これで良かったのだ。下田は間違っていない。ハモでいいのだ。ハモで。うな重はまたの機会。どちらも夏場よく見かけるので、いつでも買えるではないか。
 仕事の後半バテだしたので、早い目に切り上げた下田は、ハモへと向かった。
 何に向かおうと勝手。
 
   了



2024年6月22日

 

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