小説 川崎サイト

 

老兵は猿

 

「老兵は去るじゃ」
「老兵は猿なのですか」
「老いれば猿になればどうなる」
「小さくなります」
「まあ赤子も猿に似ておるし、どの年代のものも猿だと思えば猿に見えてくる。ああ、ああいう猿がいそうだとな」
 もっと分けると、チンパージやゴジラに近かったりする。
「高橋様もそろそろ去るおつもりですか」
「馬に乗れんようになったのでな」
「輿ならいけます」
「落ちそうじゃ。それに担ぎ手は四人。気の毒じゃ。逃げ遅れる」
「そんなときはどうなされます」
「先に担ぎ手が逃げるだろう。輿が傾いたりするやもしれん。四人同時に輿を下ろして逃げてくれればいいのだがな。傾いたときが難儀。まあ、それで上手く降りるだろう。いきなり輿が傾くわけはない。見ておる目の前で担ぎ手が輿を捨てる様が見えるはずなので、どちらに傾いたのかは分かる」
「はい」
「それであとは歩いて逃げる。鎧兜では走れん」
「歩けるのですね」
「馬に乗れんだけ」
「はい」
「まあ、戦うときは馬から下りるが、指揮をするときは馬上からの方がいい。見晴らしも効くのでな」
「輿では低いと」
「それと遅い」
「そうですねえ」
「木から下りた猿。馬から下りた老兵と同じかも」
「お世継ぎがいるので、心配ないですね」
「既に家督は譲っておる。だから隠居なのじゃ。しかし、心配なので、戦場には出ておる」
「しかし、よく生き延びましたねえ」
「数々の戦場を走り回った。幸い無事。無理をせんかったからじゃ。しかし武功は少なく、ないと言ってもいい。しかし手柄を立てるには危険なこともやらねばならぬ。それが怖くてな」
「それで、去られたあとは」
「ああ、戦記を書こうと思っておる。わしほどいくさに出た武将は少ない。それを思い出して書き記す」
「それはよろしいかと」
 三沢惣右衛門の三沢物語は世に出ないまま行方不明。子孫がなくしたらしい。
 
   了




2024年6月26日

 

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