不審者中
川崎ゆきお
パトロール中と書かれたママチャリ数台が、その自転車を取り囲んだ。 と、いっても距離はかなりあり、遠巻きに包囲している程度。 その自転車には不審者中と書かれている。 主婦達は電柱一本間隔ほどの距離で不審者を見張っているだけで、それ以上何もしない。 不審者が動き出すとそれに連れて動く。 遠巻きにモンスターを包囲している感じだ。 不審者中と書かれた樹脂ボードの裏は、パトロール中と書かれている。市販されているボードらしい。百円ショップにでも売られているのだろうか。 不審者はポケットに手を突っ込みながら、ペダルをゆらりゆらりと回しながら進む。 騎馬武者の如く威風堂々としている。 パトロール中の主婦は八人いた。ちょうど登校が終わった時間帯だ。 不審者中の自転車を取り囲むのはよいが、それで兵力の全てを使い切っている。 もし、この髭面の不審者が陽動作戦に出ているとすれば、他の場所が危ない。 と、言うことを主婦達は気付かない。 主婦の一人が通報したので、いずれパトカーが来るだろう。 それまで主婦隊は見張りに徹している。 やって来たのはパトカーではなく、警邏自転車に乗った若い警官で、それも一人だった。 別に事件が発生したわけではなく、また、罪を犯した人間もいない。 警官が出来ることは職務質問だけ。 「ちょっとお聞きしてよろしいですか」 警官は不審者に近付き、質問した。 「私は不審者だ」 髭面は自分の口からそう言った。 「これで私は不審者ではないだろ」 若い警官は、その論理が分からない。 「不審者であるかどうかを調べる必要がない。私は不審者である。だから不審に思う必要はなくなる。思うとか想像するとかではなく、また疑うとかの必要もないほど明快な姿を晒しておる。さあ、私は不審者だ。さあどうする」 「どちらへ行かれます?」 「この町内を見学する。観光でな」 「ここは観光地ではないので、見るべきものはないと思いますが」 「確かにここは由緒も何もない新興住宅地だ。安っぽい三階建てのウサギ小屋が並んでおる。そういうのを見るのも楽しい」 「では、ゆっくり見学してください」 「あんたも大変だな」 警官は答えない。 「もう一つ質問してよろしいですか」 「どうぞ」 「その不審者中と書かれたボードはご主人が作ったものですか」 「そうだ」 「外したほうがよいかと思いますが」 「私は不審者だと疑われるのが嫌なのだ。気分が悪い。このボードにより、疑う必要はなくなる。よって不審な目で見られることもない」 「ですが、不審者だと通報されますよ」 「面倒臭そうだな」 警官は答えない。 警官は不審者にぐっと顔を近付け、小声で囁いた。 不審者はそれを聞き、頷いた。 警邏自転車の後ろを不審者の自転車が続く。 主婦が包囲していた一角を突破する。 主婦達は解散した。 「協力、ありがとうございます」 「また、追ってくるやもしれん」 「この通りを渡れば、区域が変わりますから、彼女達も立ち入らないでしょう」 「そうか」 「何処にお住まいですか」 不審者は不審げに警官を見る。 「あっ、これは私語です」 「この町内に住んでおる」 「そうなんですか」 「近所を自転車で走っているとあの目付きだ。私を不審者にさせたいような目付きだ。それならいっそのこと不審がらさず、安心して確定させたかった」 警官は何も答えない。 「地域のパトロールもいいが、誰が住んでおるのかぐらい知るべきだろう。少なくともあの連中の数十倍、私はここに住んでおる」 「でもここは数年前まで農地だったと聞いていますが」 警官は自分で言いながら、あることに気付いた。 若い警官は振り返った。 主婦はもういない。 小学校が見える。 その横に古ぼけたケヤキが立っており、その下に小さな祠がある。 警官は先輩から、そこに祭られている動物の話を聞いたことがある。 それを思い出した。 不審者の自転車はすっと消えていた。 了 2005年7月1日 |