小説 川崎サイト

 

脱サラ

川崎ゆきお



「雨が降るとねえ、調子が出ないんですよ」
 退社し、事業主となった立花は一人で自宅で仕事をしていた。
「会社ではバリバリ働いていた立花さんとは思えませんね」
「ついついサボってしまうんだ」
「天気が影響するような仕事じゃないでしょ」
「やはり畳の上に事務机は似合わないよ。文机で、座布団で、背もたれが似合うね」
「座椅子ですね」
「畳だとね、つい寝転びたくなるんだよ」
「それで、いつ頃までにできますか」
「すまないねえ。わざわざ出向いてくれて、メールで事足りるのに」
「寝込んでいるのかと思いまして」
「遅れているのはそのためじゃないよ」
「環境の違いですか?」
 立花はジャージ姿で不精髭もはえている。
「シャキリとしないんだよね」
「僕も独立を考えていたんですが、小さなオフィスを借りたほうがいいみたいですね」
「仕切りだよ」
「仕切り」
「通勤中が仕切りだったんだ」
「ああ、お相撲の」
「社に近づくに従い気合が入っていった」
「でも自宅のほうが楽でしょ」
「満員電車の中での力みも必要なんだよ。押されて、ぐっと体に力を入れる。あれで気合が入るんだ」
「じゃ、事務所を借りられてはどうですか?」
「いや、その経費はない。計算に入れてなかったからね」
「まあ、よろしくお願いしますよ」
「はい、しっかり頑張って仕上げておきます」
 取引先が帰った後、立花は散歩に出た。
 気持ちが切り替わらないのは、同じ部屋にずっといるためかもしれない。
 通勤時代の駅へ向かっていると、調子が出てきた。仕事に向かう気力が少し増えた。
 カードで改札を抜ける。
 いつもの電車に乗ってしまう。
 都心の駅で降りる。
 オフィス街を歩く。
 気合がみなぎってきた。
「これだ。これだ」
 立花は電車に乗り、引き返した。
 気合はまだ残っていたが、やや萎んでいる。
 自宅に入り、仕事を始めた。
 しかし、気合の張り方が足りないのか、小一時間ほどでペシャンと萎んだ。
「往復したのがいけなかったんだ」
 立花は天井を見ながら、そう呟いた。
 
   了


2007年01月29日

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